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2010mineiri-k

天念寺耶馬 天空の霊場 無明橋
画像撮影:2010年3月22日

無明橋のある天念寺耶馬の尾根へは、天念寺前の道を100m程上って、左手へ折れ道なりにのぼる。左の画像の道が峯入りの一行が登った道。

天念寺右隣の駐車場から登るコースもあるが、竹に道をふさがれて通行が困難と聞いた。そのコースを5年ほど前石灯籠のあるテラス状の下あたりまで歩いた。上に登る鉄の梯子が腐っており、危険と判断して引き返した。もちろん、道はほとんど形跡はなく、思い描く方向を目指して歩いた。

見上げたその上に、下の画像の観音様が沢山並んでいたのだが、そのときはこんな凄い観音像があることなど想像だにしなかった。

天念寺から10分程登ると目の前に壁が現れ、鎖が2本ぶら下がっている。左を掴んで、そのまま左へコースをとれば、下から見上げた時に右手にあった石灯籠のあるテラス状の付け根付近に出る。
右の鎖でよじ登り、穴を潜ると、壁の向こう(西)へ出る。向こう側には、下の画像のような岩屋に並んだ沢山の観音様がある。

再び、穴を戻って、右方向へ進むと、足の幅ほどの道が垂直の壁に刻まれ、鎖につかまりながら横に進む。さらに上によじ登れば、尾根の鞍部へ到達する。

尾根をそのまま下れば、無動寺のある黒土の谷へと通じる。


穴を潜って、壁の向こう側の観音さんにお参りし、壁を横歩きしながら、尾根の鞍部に登り着いた。右の画像の旗の場所を右に下れば無動寺へ通じる。

無明橋を渡るには、画像の正面に立ちはだかる瘤(10m強)を越えなければならない。瘤には、2本の鎖がぶら下がっている。右の鎖で登る方が優しそうなので、私は右の鎖で登った。
峯入りの一行は、瘤の左を壁伝いに無明橋へ行き、帰りは、一番険しい左の鎖を下りてきた。片手で錫杖を突き、片手で鎖を握って前向きにである。私のはとても出来ない。

この瘤の元には宝篋印塔や観音像他を見る事が出来る。どうやって運び上げたのだろうか?


足を少し震わせながら瘤を登り、左回りに少し進むと、目の前に無明橋と小さな祠が見えた。無明橋は下から見上げるのと違い、以外としっかりしており大きく感じた。

橋の前に立つと、橋を渡るしかない。眼下の景色を楽しむ余裕もなく、石橋の表面にピントを合わせてゆっくりと渡った。少々日頃の行いを心配したが、無事だった。

橋を渡り、祠の観音様に手を合わせ、ここまで無事にこれた事に感謝した。また、帰路の無事もお願いした。

しばらく、眼下の絶景を楽しませていただいた。

【無明橋】
天念寺耶馬の尾根の割れ目に架かる石造アーチ橋。幅は1.2m、長さ5.7m。架設は大正年間(1912~1926年頃)と云われている。
石は、一重で組まれ、1枚ものではなく、幅方向に長短2枚の石を繋いでいる。すばらしい技術のアーチ橋である。

【無明】・参考までに・・
迷い、無知・・・知らない世界を恐れる事、迷う事。知れば智慧となる。

邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第1、三惑の一とされる。

少し興奮が静まって、あたりを見渡せば、眼下に黒土の谷にある無動寺が見えていた。素も背後には高く聳える尻付山も見えている。峯入りの一行は、無動寺に下り、川沿いを下って応暦寺を経由し、尻付山の西の麓を大きくまわって恵比寿の谷を目指す。
特に、険しい峠越えがこれから始まる。

天辺へ立って、欲張って多くを願ったが、仏様はあきれ果てたに違いない。

峯入り当日の様子をテレビ放映のニュースで見たが、是非自分の目で見たかった。自分のレンズで記録したかった。残念でならない。

さて、今度は、テラスの先端にある石灯籠の場所まで行ってみよう。もう一度無明橋を渡って、瘤の右へ回り込み、真ん中あたりから鎖でテラスへ下りる。狭いテラスの尾根を慎重に20mほど進むと垂直に切り立った先端に石の上に載った石灯籠がある。
その少し手前に祠があって、観音様が祀られている。

テラスは、3面垂直の壁で構成されている。慎重に歩く事以外に身を守る方法は無い。あくまでも慎重に歩いた。

祠の石には、文化八辛羊四月吉日天念寺支配所と刻まれている。(文化七八年は1811年、辛羊はかのとひつじ)

眼下には、すばらしい絶景が広がっている。何も考えずに眺めていると、翼を広げて飛び立ちたい気分となる。


鞍部の東にある観音岩屋の仏達 瘤の付け根には宝篋印塔ほか石造物があった