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2010mineiri-j

4月1日(水)

長安寺から


長岩屋
長安寺を出発し、一つ北の長岩屋へ向かう。以前は、厳しい獣道だった様だが、今回は、新しくつけられた舗装道路を2km程下る。(今日も、挫いた足を抱えて寝ている。k-planさんと、マイルドさんにいただいた画像で今日を記録しています。)

行園集落から長岩屋川を渡り、川中不動へ向かう。途中、“びくに”と呼ばれる、地元の勇者が、修行僧を肩車して運ぶ奉仕(お接待)が行われた。

【びくに】地域の若者4人が、同じかそれ以上の体格をした峯入り僧の両足の又に自らの頭を入れ、肩で僧を担ぎ上げる。ゆっくりと立ち上がり、川中不動を右手に見ながら、ゆっくりと50メートルほど歩いた。

由来は定かでないと聞くが、地区の言葉で、肩車を意味する「ビンビコ」がなまったものらしい。

天念寺参拝
天念寺は、六郷満山の中山本寺で、養老2年(718年)に仁聞菩薩によって聞基されたと伝えられる古刹。

毎年旧暦1月7日に行われる修正鬼会(国の重要無形民俗文化財)で知られている。

天念寺本尊は、国の重要文化財である阿弥陀如来立像。高さ198cm。平安時代後期の作とされる。阿弥陀如来像は、他の5躯の仏像とともに、明治39年(1906年)、国宝に指定されていたが、昭和16年(1941年)の大水害で損壊した本堂の再建資金とするために、昭和36年(1961年)に埼玉県の寺院に売却された。その後、平成9年(1997年)に大分県と豊後高田市によって買い戻され、平成15年(2003年)天然寺脇に開設された天念寺伝統文化伝習施設「鬼会の里」に展示される事となった。
九州西国霊場第五番・国東六郷満山霊場第九番。

天念寺講堂脇にある役行者半彫り石像
文殊仙寺は役行者の開基と伝えられ、石像がある。
天念寺にあった萱屋根の旧天念寺写真?
(鳥居の刻字も異なっている)


川中不動参拝


寺の前を流れる長岩屋川の川中の巨岩には、3.23mの不動明王と制多迦童子、矜羯羅童子の不動三尊が彫られている。

室町時代に、氾濫を繰り返す川の水難防除の願のために造られたと伝えられており、川中不動(かわなかふどう)として地域の信仰を集めている。

今日は、昨日の午後から続く生憎の雨模様となった。峯入り行の僧たちも一般参加者たちも、カラフルな雨具を身につけての参拝である。初日の白装束からカラフルな装束となった。

川の中の鯉達も、カラフルな出で立ちの一行を見上げていたかも知れない。

川中不動前の長岩屋川は、天念寺修正鬼会の行事で、禊ぎの場所となっている。昔の峯入りに、川沿いに禊ぎ場所が在ったと書かれている。ここもそうだった可能性がある。


無明橋

無明橋へは、三つの道が在る。峯入りの僧侶一行は青道、一般参加者は黄道を上った。
画像にマウスを当てると拡大します。

川中不動に参拝し、天念寺裏手(北)の霊場へ向かう。
天念寺から、川沿いを100m程上ったところを左折して険しい道をのぼる。以前は、天念寺駐車場脇から上れたが、今は、相当の覚悟が必要らしい。

健脚なら、寄り道せずにを条件として、15分から20分で無明橋まで上りつける。コースも、尾根の東側からと西の灯籠の立つ尾根の付け根あたりからと、中央からと大きく3つがある。峯入りの一行は、テレビ放映で見ると、西の灯籠の立つ尾根の付け根に上り、そこから無明橋へ上った様だ。無明橋の先には八十三番と書かれた小さな祠があり、観音像他が祀られている。
天念寺で見つけた写真