sub3-b3-6 2014/05/15 奈多行幸会道を歩く−4 


宇佐神宮に到着しました。






古い御験(薦の枕)を無事に奈多八幡宮まで運び終えた御一行は、この後どうするんでしょうね?
それはさておき、奈多八幡宮に祀られていた御験は、新しい御験に取って代わられ、さらにこの御験を武蔵の椿八幡に納め、椿八幡の旧御験は奈多の沖に沈めるんですね。その様子が、「八幡奈多宮詳細記」に書かれています。
ところが、さらに読み進めると、別の表記があります。そこには、息島より竜宮城へ遷し奉るとて海入奉るを恒例とす。・・74ページの記載。


【以下は、31ページと32ページの記載内容です。・・・青鬼くん解釈】
宇佐より還幸(かんこう:神が神幸先から帰ること)の御験は一二三の尊座の傍に安置し奉り(たてまつり)、旧御験は武蔵郷椿八幡宮に権大宮司供奉りして椿宮の舊(旧)御験と替え安置せしむ。
又其の旧御験は供奉して奈多に還幸し奉りて、風波穏やかなる日を以て三所(八幡大神・比売大神・神功皇后)を一つの鳳輦(ほうれん)に遷し(うつし)奉り舟二艘の間に掴て以て御して伊豫の三津久惠と奈多の三津久恵との間の沖に沈水し奉るなりなむ。
鉄鎮三十六貫を附着するなり。是即ち宇佐行幸会の終わりにして始終三十日の間に之れを修行するなり。





私たちの平成奈多行幸会は、2月1日に初回を行幸し、3月1日に二回目を行幸し、三回目を3月25日、そして5月15日の今日、奈多八幡へ無事到着しました。この平成奈多八幡行幸会を思い立ったのは、2014年1月11日の寒い日、国見町の山本さんの計らいで、豊後高田市の綾部先生に現地勉強会をやっていただいたことに始まりました。その後、何度かの部分的な道の確認や埋もれた道の掘り起こしを行い、今日のゴールに至りました。御協力いただいた皆様に感謝します。私の興味にお付き合いいただきありがとうございました。


さて、今回はおおざっぱに歩いただけに終わりました。県調査資料や八幡奈多詳細記に書かれている場所の特定などを行って行ければと考えています。その作業は、当時の御一行様が歩いた11月頃を予定したいと考えますので、また皆様のご同行をお願い出来れば幸いです。

それでは、今日の御一行は、労を労って、お天気も良くなった気持ちいい奈多宮前の砂浜でおいしいお昼をいただく事にします。


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