紺屋の庚申塔と五輪塔 |
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元文元年丙辰年(1736年) |
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旧道を歩く一行 |
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扇神社がありました。 |
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輿木塚(御輿を休めたとされる場所・・今はその石も無い) |
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輿木塚辺りから振り返った風景。 11:08 |
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輿木塚から下って朝来野川へ向かう。菜の花が満開 |
紺屋の庚申塔
国東市安岐町朝来(旧地名大字明治字中野)の墓地下の路傍にある。
塔高 145cm 石殿唐破風型
日月・青面金剛・4臂・2童子・2猿・2鶏
元文元年丙辰年(1736年)
扇神社
九州辺りにしか無い神社らしく、詳細は不明。
輿木塚
県調査資料には以下のように記述されている。
紺屋の庚申塔の前を通り、扇神社(大字明治字扇ヶ平)参道前を経て、多田計氏宅(大字明治字高盛5023番地)前で左折する。朝来野川に下りる途中の水田の中に、「輿木塚」と称する自然石があり(大字明治字高盛5036-2番地)、奈多行幸会の儀礼集団はここに御輿を休め、諸田や俣見へ料物の催促に使者を出したものであろう。
残念ながら、水田は耕地整理され、お神輿を置いた石の痕跡も無い。また、朝来野川に下る道跡もよく分からないので、現在付けられている舗装道を下り、朝来野川に架かる沈み橋を渡って護聖寺へと向かった。 |
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沈下橋を渡る一行 |
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護聖寺門前 11:26 |
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県調査資料転記
朝来野川を徒渡りで進み、田圃の旧道を通り、護聖寺の門前に出る。
久末の歳神社前から朝来野川沿いに向い、朝来小学校内を通過して牛頭之宮の御旅所(旧字名飛松)前を経て町道沿いに進み、渋谷商店(大字朝来字松ケ本2926-1番地)手前で左折する。
この付近は通称を塔之本といい、道路際の伊東家庭先に五輪塔(弁分大蔵の五輪塔と称す)があり、北方の丘の上(字陣ノ内、旧字名白禿)には生目八幡社が鎮座する。
塔之本から西白寺門前を過ぎ、清原正美氏宅(大字朝来字松ケ本2859-1番地)前を経由して牛頭之宮に至る。
当区間の旧道は比較的に残存しているが、道路の改修工事等によって寸断され、消滅した部分も多い。なお、旧道沿いには、諸田の山神社(山王宮) ・大吉院・報恩寺・峰の権現社(堂)・日吉社・紺屋の庚申塔・輿木塚・護聖寺・久末の大歳神社・八坂社御旅所・生目八幡社・塔之本の五輪塔・西白寺・八坂社の板碑等かある。 |
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塔之本の道が分かりにくい。ちょっと裏に入ったら庚申塔などの石像文化財が並んでいる空き屋の庭先を通過。西白寺直前です。 |
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ここ道かな?なんて畑のあぜ道を遠慮無く歩きました。こんな処を行幸会の御一行は歩いたんじゃ無いかなと思います。 |
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お昼の場所と設定した西白寺に到着 12:06 |
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結構のんびり歩いて、あちこち引っかかって、・・・それでもお昼にはここまで来ることが出来ました。宇佐八幡様の御陰かな?
この西白寺は、行幸会のコースでは無いんですが、お昼休憩にはここが良いだろうと思っていたんで、良いタイミングで到着しました。
さて、ここまでの気がかりは、 牛頭之宮の御旅所(旧字名飛松)と、渋谷商店(大字朝来字松ケ本2926-1番地)を確認できずに歩いた事と、道路際の伊東家庭先に五輪塔(弁分大蔵の五輪塔と称す)を見逃した事。また、後日確認に来よう。
途中天気予報通りに小雨がぱらついたが、歩くのに困るほどでは無く、まあまあのお天気と喜ぼう。
静まりかえった西白寺の境内や本堂の階段に腰掛けて、それぞれ持ってきたお弁当を空きっ腹に放り込んだ。今日も大日向さんのお接待でミカンをいただいた。ありがとうございます。
12時47分にやや重たくなった腰を上げ、午後のコースに向かって歩き始めます。お世話になった寺の境内を出ようとしたら、寺のあと取りが幼稚園から帰って来ました。「こんにちは。・・・バイバイ。」 |