usa8-6d.html  第6回「八幡文化を訪ねる旅」  薦神社仲秋祭 202年9月15日
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薦神社の祭り 池永孝生

【元 旦 祭】
 薦神社の一年は一月一日の午前三時より行う元旦祭から始まります。総代達が大晦日から準備した何千杯もの飴湯やお神酒を接待し、「薦十五日会」「御澄会」「菊花会」等の崇敬会の会員達が、御神体の御澄池の周りで、かがり火を焚きます。参拝者はお池に映る神秘的な火を見ながら、敬虔な気持で元旦のお参りをし、冷えた
体を飴湯で暖め、御神札や破魔矢などを求めて帰られます。ありがたいことに、総代や崇敬者のこうした無償の奉仕により、年々参拝者が増え、盛大になっています。

【鎮 疫 祭(おしんげや)
 正月が過ぎますと、危年の方々が厄祓いの御祈願に次々にみえます。これが二月十一日の鎮疫祭の日まで続きます。鎮疫祭は、建国記念日と同日の二月十一日に行っています。
この祭りは、昔、天然痘が流行った時、これを鎮める、疫鎮めの祭りとして始められました。現在では、家内安全、無病息災、厄除、商売繁盛等を御祈願するお祭りとして行っています。
 祭典は、午前十一時より本殿において建国記念祭と本殿祭を、午後五時より本殿右隣りにお祀りしています八坂社で八坂祭を行います。祭典の後、杜の中の伊勢宮の前で「鬼やらい」の行事を行います。「鬼やらい」は、鬼の字を大きく書いたニメートル四方の紙に竹で枠組みをしたものを、数メートル離れたところから、それが破れるまで弓矢で射て、無病息災を御祈願する行事です。
 また、この日の正午から、総代達による甘酒の接待をし、崇敬者達が餅搗きをします。餅搗きは、中津市農業協同組合や崇敬者が毎年奉納して下さる二俵の餅米を、神社関係者だけでなく、参拝者にも参加して戴き、次々に搗き上げます。その餅を敬神婦人の会員達が袋に入れて参拝者に配ります。餅には、御神体の御験である真薦(稲科の植物)を粉にした霊薬を入れています。参拝者はこの餅を食べ、甘酒を飲んで一年間の無病息災を祈念するのです。
 この日に行われる忘れてはならない行事に、御神楽があります。
薦神社では一年を通じて、鎮疫祭の日にだけ奉奏されます。素朴なお囃子と舞は、神様に喜んで戴くと同時に、忙しく過ごしている現代人の心をなごませる大事な神賑わいです。

【祈年祭・植樹祭】
 その年の五穀豊穣を祈る祭、祈年祭(きねんさい)は三月十二日に行われます。祈年祭の「年」は「米」という意味です。米は日本人の命の基です。この命の基である米にとって最も大事なものはきれいな水なのです。
 御澄池は、薦神社の内宮として祀られているだけでなく、この池から流れ出る清冽な水は、古代から農業用水としても利用されています。きれいな水を確保する為には、深い森が必要なのです。
 薦神社の周りは、近年、宅地造成等により緑が目に見えて減ってきました。それに追い打ちをかける様に、松喰い虫による被害が続き、昭和五十四年までに、約千二百本の松が枯れました。それでも約二十五年間にわたり総代達が毎年三百本の若木を植えてきました。また、昭和六十年には、中津中央ロータリークラブが二千本の松を奉納してくれました。このような努力と奉仕によって神社の杜は緑を保っているのです。
 この祭りには、五穀豊穣を祈ると同時に、日本人の心を育んできた清い水と、豊かな緑を守らなければならないという願いが込められているのです。

【例  祭】
 例祭の日は神社の起源と関係が深い日です。薦神社では四月二十一日に行います。神様の恩頼(みたまのふゆ)に感謝し、崇敬者の幸福を祈念する祭りです。
 祭典の後、記念行事として、「敬神婦人の集い」を催し、薦神社と関係の深い先生を毎年一人お招さして神道講演会を行います。講演会が終わりますと、講師の先生を囲み直会をします。直会では、敬神婦人の方々が歌や踊りを披露し、一時を楽しく過ごします。

【大祓い(夏越の祓い)】
 大祓いは六月三十日と十二月三十一日に行います。六月の大祓いは夏越の祓いとも水無月祓いとも言います。
一月一日から半年間の氏子崇敬者の罪穢れを祓い、体調をこわしがちな夏を健康に過ごすことを祈願する行事です。
 午後八時から拝殿で、神主と参拝者が「大祓い詞」を奏上し、紙で作った人形に罪穢れを託し、切り麻でお祓いします。最後に神主が大麻で人形と参拝者を再度お祓いします。その大麻と人形は御澄池から流れ出る川に投げ入れ、海へと流します。

【仲 秋 祭】
 旧暦の八月十四日、十五日に行っていた仲秋祭は、現在では九月の第三土曜日と日曜日に行っています。
 八月初句に、関係地区の代表者と神社関係者とで御神幸会議を開き、祭りの段取りを決定します。
 この決定に基づき「クリーン作戦(境内地の大掃除)」を九月初旬に千人を超える近隣の老若男女が集まって行います。
 傘鉾(かさぼこ)のお囃子(おはやし)を担当する子供達は、夏休みにはいるとすぐ稽古に励みます。そのお囃千は夜遅くまで響き渡り人々に祭りが近づいたことを知らせます。
 祭りの一日目は、午後の五時より祭典を行い、御輿(みこし)に御霊(みたま)移しをします。午後八時に花火を合図に御神幸が開始されます。先頭は、塩振りと呼ばれる白装束の二人の子供が、榊で塩水を振りながら清めて行きます。その後に四人の旗持ち、稚児車、子供御輿六基、傘鉾四台、本御輿三基、最後に宮司が御輿をお守りしていきます。午後十一時ごろ頓宮にお着きになり、そこで祭典を行います。その後直会があり、人々が帰った後も、神職は頓宮で御輿とともに一夜を過ごします。

 二日目は、午後三時より稚児行列を行います。六基の子供御輿が先導して、約百人の稚児達が、稚児車を引いて本宮に向かいます。
 午後九時より、一日目と同じ行列が本宮に向かいます。午前零時ごろお着になり、本殿に御霊移しをし、最後の祭典を行います。その後、直会をして仲秋祭が終わります。
 また、この祭りの時には中体連による相撲大会、氏子による野球大会やゲートボール大会、子供空手大会が奉納されます。
 この祭りは、近年ますます盛んになり人々に大いに喜ばれています。

【菊花展・七五三詣】
 十一月一日から十日まで行われる菊花展は、昭和四十八年から中津菊花会の数名と総代とで始められた行事です。
現在では菊花会の会員も百名を数えるようになり、境内地を飾る花も干鉢を超えるようになりました。市内の小・中学校にも菊花会が苗を配り、出品する学校も十校にもなりました。
 薦神社の年間行事のうちで、最も新しいものですが、神社にふさわしい、華やかで静かな行事として定着しました。
 会期中、敬神婦人の会員達の奉仕で抹茶の接待をしていますが、それも五干杯を超えるほど参拝者がみえるようになりました。
 会期中から十五白まで、数百人の七五三詣の子供達が御祈願に来ます。そして、素晴らしい菊の花を背景に記念の写真を撮っています。

【新 嘗 祭】
 三月の祈年祭に対応する行事で、新穀を神様に供え五穀の収穫を感謝するお祭りです。薦神社では十二月十一日に行っています。

【大祓い・除夜祭】
 大晦日の大祓いは一年間の罪穢れを祓い、新しい年を迎える心の準備をする行事です。お祭りの内容は六月の大祓いと同じです。
 大祓いに引き続いて行う除夜祭は、無事年を越せることを感謝するお祭りです。


 薦神社では、以上の祭りを一年を通じて行っていますが、その他に、毎月二十一日午前六時より、月次祭を行って、氏子崇敬者のご多幸を祈願しています。
 どの祭りも、日本人として生きる上での、我々の祖先の知恵が集約されているものです。

薦神社パンフレット