usa8-3d.html 202年6月30日
Top← 第3回 「八幡文化を訪ねる旅」 宇佐神宮大祓と摂末社の旅                           

春日神社(かすが神社 境内末社-1)
一之御殿、八幡大神の脇殿。(画像は社の裏から)

祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)。神功皇后をお助けになった尊神とされる。

天児屋根命は、春日権現(かすがごんげん)とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。

岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。

平野神社(神社 境内末社-2) 善神王神社(ぜじんのう神社 境内末社-3)
もとは上宮南中楼門にお祀りされていたが、現在は住吉神社に相殿されている。宇佐神宮回答(画像住吉社) 南中楼門の左右に祀られている。
西(左)側が高良大明神。東(右)側が阿蘇大明神。

中楼門

八子神社(やこ神社 境内末社-4)
八幡大神の八王子神をお祀りしております。社殿の構えはなく、上宮、西回廊の楠の木に鎮まっている。

神仏習合下の両部神道に由来するもの。
仏教の守護神である牛頭天王には頗梨采女との間に八人の子(八王子)がいるとされており、これを祀ったのが八王子神社。
八王子は八方位の暦神に比定され、八将神ともいう。
太歳神・大将軍・太陰神・歳刑神・歳破神・歳殺神・黄幡神・豹尾神

明治の神仏分離の際、これが牛頭天王と習合していたスサノオと天照大神との誓約(うけい)で化生した五男三女神に変えられた。五男三女神とは以下の神である。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
天之菩卑能命(アメノホヒ)
天津日子根命(アマツヒコネ)
活津日子根命(イクツヒコネ)
熊野久須毘命(クマノクスビ)
多紀理毘売命(タキリビメ)
市寸島比売命(イチキシマヒメ)
多岐都比売命(タキツヒメ)

亀山神社(かめやま神社 境内末社-5) 八坂神社(やさか神社 境内末社-6)
参道を本殿に向かうと見過ごされてしまう位置にある社です。祭神は大山積命(おおやまづみのみこと)。
宇佐神宮の社は亀山という山にあり、亀山神社は、亀山の「山の神」「地主神」と言う事になるそうです。
御神体は、須佐之男命(すさのうのみこと)
この神社の西側に昔の神宮寺弥勒寺の金堂や講堂の旧蹟がある。八坂神社の前で、毎年二月十三日に鎮疫祭(ちんえきさい)が行われる。また、鳥居前には「養蚕神社」(御祭神天照大神)の立て札もある。

木匠祖神社(もくしょうそ神社 境内末社-7) 稲荷神社(神社 境内末社-8)
手置帆負命(たおきほおいのみこと)、比古狭知命(ひこさしりのみこと)を祀る小さな社が水分神社の鎮座する池の畔に佇む。
天照大神が天の岩屋に隠れた時、天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営した。
手置帆負命、比古狭知命は木を切り出し瑞殿を作った伝承から、共に工匠(工作を職とする人)の守護神とされ、木造建築の上棟式(棟上げ)等の祭神とされる。
稲荷神は、信仰の神。稲荷大明神(いなりだいみょうじん)

稲荷神を祀る神社を稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社。朱い鳥居と、神使の白い狐が象徴となっている。

稲荷社は、渡来人の秦氏と深い関係がある。

水分神社(みくまり神社 境内末社-9) 天満神社(神社 境内末社-10)
菱形池、御霊水前の小島に鎮座され、中島の竜宮様とも云われる。
御祭神は水を司る五神を祀る。高靇神(たかおかみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、天汲匏持神(あめのくひざもちのかみ)、国汲匏持神(くにのくひざもちのかみ)
菱形池の東奥に小さな島があって、その中央付近に水分(みくまり)神社が有ります。公平に水を分ける神様。
天満神社・天満宮(てんまぐう)は、菅原道真を祭神とする神社。
政治的不遇を被った道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになった御霊信仰の代表的事例とされる。

宇佐神宮の弥勒寺跡、旧相撲場の裏山の中にひっそりと佇む。

護皇神社(ごおう神社 境内末社-11) 天満神社(神社 境内末社-12)
以下、護皇神社境内説明書き転記

御神祭 和気清麿朝臣命
神護景雲三年(七六九年)七月十一日、和気公は宇佐使として当地に参向「我国は開闢依頼君臣の分定まれり、天津日嗣は必ず皇儲をたてよ。無道の者は速やかに掃い除くべし」という八幡大神の御託宣を受け、道鏡の野望はくじかれ皇統が守護された。山上の摂社大尾神社付近は神託を受けた旧蹟である。
かつて石祠3社存在したが現在は水分神社に相殿で祀られる。  

3か所の石祠は菱形池の中島、弥勒寺跡敷地内、弥勒寺跡と下宮の中間の山中。

菱形池の石祠は現存しない。・・宇佐神宮社務所回答

画像は、水分神社

女禰宜神社(神社 境内末社-13)
琴平神社(神社 境内末社-14)
かつて八角堂の社殿があったが、明治以後社殿なし。祭典は行われる。場所は、宝物館アプローチと黒男神社の中間あたり。・女性の神職を祀る神社か? 所在は、相撲場横の宮山中腹に位置する。起源は、文化12年(1815年)に編纂された土佐国地誌『南路志』に、江戸時代前期の寛文8年(1668年)に清瀧寺本堂が全焼した。寺院の防火および発展を祈願して金比羅が勧進されたと書かれている。

北辰神社(ほくしん神社 境内末社-15)
比売大神の脇殿といわれ、本宮の地主神と伝えられる造化三神を祀る社。

【造化三神】
・天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
・高御産巣日神(タカミムスビノカミ)
・神産巣日神(カミムスビノカミ)
を祀っている。


上宮西中門の中に鎮座しており、外からの確認が難しい。

北斗星信仰の北辰妙見に始まったと考えられる。
ここでも神仏習合を感じる事が出来る。

喩加神社(神社 境内末社-16) 神井
宮山の石祠の内の一つ・・ 西大門をくぐり、上宮境内の直ぐの左手

淡島神社(あわしま神社 境内末社) 貴布根神社(きふね神社 境内末社)