吉弘氏の末裔 室利則氏による家宝の紹介 |
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当時の槍を持つ三河外記の子孫三河国東市長 |
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菅原道真公像 庄屋 富原一柳翁刻 |
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石塔の写し牌 |
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東ヶ迫六面地蔵塔(国東塔)
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江戸時代の六地蔵信仰で製作されたものと推測する。
塔は国東半島で石塔に多く用いられている角閃安山岩。
塔の基本形は、国東塔。基礎は4段積まれているが、格狭間等の細工彫りは見あたらない。塔高228cm。
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基礎4段の上には高さ5cm程の複弁の反花が施され、その上に6面の塔身がのっている。各面には、地蔵菩薩立像が彫られている。その上の笠は照屋根、相輪、、請花、九輪、火焔宝珠と続く。相輪は高さ69cm。 |
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祇園社 滝口武士の歌碑
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筆者が滝口さんに会ったのは1949(昭和24)年初夏の頃で、以後、30余年、身近にあって強く感じたのは、まず、その人間性、パーソナルに得難いほどの好印象を抱いたことであった。そしてまた、外、寡黙、温和ではあるが、内、かなり激越なる思念と、行動の所有主であることをうかがい知ることができたのであった。「酒を好まず、酒の上の喧騒を嫌い」「服装も、極めて尋常なる風俗を好み、芸術家気取り、風変わりなのを毛嫌いし」「常に清潔を尚び、稚拙、単純を愛し、たとえ複雑な過程を経るとしても、やがて復元、単純に還るべき」が、滝口の挙措、処世のモットーであり、それはまた、安西冬衛のそれと全く合一するところのものであった。
滝口武士は、安西とともに『亞』に拠って日本の伝統的な文学領域へ挑戦し、その果実が現代詩たる「昭和詩」の創出に大きく貢献していくこととなるのであるが、その滝口詩に対して、高村光太郎(1885~1956)は「『亞』の気魄は、詩精神の烈しさを私に示した。私は震度の極めて強い音響をいつも思った。『亞』は、日本の詩に密度を与えてくれた」(1939)と激賞している。
私はそうした滝口詩の、時代の現実を見つめた代表的作品として、次の二編を挙げたいと思う。
揚子江(長江)を題材として、大正末から昭和初期にかけての中国の現実と、その未来とを、これほど透徹した視座、視点から確かめ表現し得た文学者が、幾人存在し得たであろうか。
滝口にはまた、自らが生をうけた郷土国東の、さらには零細規模に喘ぎ、深刻な矛盾を内包する日本の農業、農民の生活と生産を主題とした多くの作品があるが、伊藤信吉は、この「蠶」を滝口の代表作の一編だとして高く評価している。
かく、詩とともに、「大連~『亞』」と、そして「国東~武蔵」の地に生きた滝口武士を、筆者たちはもちろん、生地の人々が追慕、敬仰してやまないのはなぜであろうか。それは、両親の死によって帰郷、以後、東京へも行かず、長く県内にあって教職に専念、『詩と詩論』に参加、個人誌『蝸牛』『鵲』を発刊し、戦後は『九州文学』『心象』『門』同人として、さらには県詩人協会長として、地域の文学、文化活動のため、渾身の努力を傾注し続けたからに他ならないのである。
詩人・滝口武士は、1982(昭和57)年5月15日、別府国立病院において死去。今、最愛の地に眠る。昨2004(平成16)年5月15日が生誕100年であった。 |

大分県庁HPより転記
大分県が生んだ昭和詩を代表する詩人・滝口武士は、1904(明治37)年5月23日、東国東郡中武蔵村(現武蔵町)大字手野1081番地に、父近雄、母ミユキの長男(弟妹8人)として出生。1924(大正13)年3月、大分県師範学校を優秀な成績で卒業、4月、旅順(旧満州)師範学堂研究科へ進み、同年9月、大連市朝日小学校に訓導として赴任する。以後、家庭の事情で帰国(1939・6)するまでの15年間、中国・大連にあって初等教育に専念しつつ、詩人・安西冬衛(1898~1965)らと交流、詩誌『亞』(1924~1928)の編集同人として活躍する。
滝口武士と、安西冬衛。この二人の出会いが、昭和詩、日本の文学史の中で重要な位置と役割を果たすこととなるのだが、滝口は、その安西について「自分にとっては稀有、懸け替えなき存在であった。僕が安西に惹かれたのは、(彼が)それ程の金もなく、また東京にも行かず、しかも現代詩の最先端を歩き続け、一脚を失って詩を書き始め、職らしい職に就かず、詩一本で激しく、厳しく生き抜いたことだ。安西を思うと勇気は百倍する」と、言っている。一方の安西は、彼自身の長い詩歴の中にあって、いつも滝口との『亞』の時代を思い起し、著書、著述を大切にし、滝口からの書簡、はがきの類まで、番号を付して保存していた(小野十三郎談)という。こうした熱誠溢れる、高雅清澄の交友は、二人の生涯を通じて不易、不変であった。 |
祇園社へ到着 |
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歌碑を前に滝口武士の話を聞く |
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武蔵町の史跡と歴史を学ぶ、楽しいウォーキングでした。
9時に武蔵西小学校を出発し、15時27分に再び武蔵西小学校に戻りました。6時間半程で15.3kmのウオーキングを楽しみました。私は、昨日も歩いたので少々筋肉の疲労を感じていますが、皆さん顔色一つ変わってないですね。
完歩証明書をいただきました。・・・
堀田さん(画像の左端に写っている)、元気ですね。また、歩きましょう。 |