musashi-a 第9回 み仏の里くにさきウオーキング 
「戦国武将吉弘氏を訪ねて」~武蔵町周回コース
202年5月13日


「戦国武将吉弘氏を訪ねて」~武蔵町周回コース として開催されたウォーキングに参加した。
コース設定の趣旨は、「
南北朝から戦国時代にかけて国東半島で活躍した吉弘氏一族だが、最後の四代に渡って非運の死を遂げている。ウォークは、その一族が治めた武蔵町吉弘城や国指定の楽打ちが伝わる吉弘神社などを巡るコースで行われた。」・・・主催側の代表者である「じなし」さんのブログより・・・


という事だが、これをネタにこのコースで巡った旧跡他を少し掘りさげて勉強してみようと考えた。さて、勉強になったか?・・う~ん、暇つぶしにはなった。

【コース】
武蔵西小学校集合・スタート→報恩寺→生目神社(道路での説明)→子供修正鬼会(説明)→丸小野寺→西光寺(昼食)→末綱恕一生家→吉弘城跡→永泰寺→加藤家・吉弘氏7代墓→楽庭八幡社→室利則氏宅→東ヶ迫六面地蔵塔→祇園社・滝口武士の歌碑→武蔵西小学校・解散


 金剛山報恩寺
画像撮影 2010年4月3日(峯入り行中)

太宰管内誌 報恩寺に関する記載
おせったいをいただきました。

 武蔵町史より転載
宗派:天台宗比叡山延暦寺末
本尊:木造阿弥陀如来坐像 丈102cm
脇侍:木造観世音菩薩立像 丈123cm
   木造勢至菩薩立像  丈123cm
昭和四十四年三月二十二日、県指定有形文化財

由緒 養老年間仁聞菩薩開基、六郷満山末山末寺八ヶ寺の一つ。
   
由緒(右参照)によれば、この附近の古い寺院と同様に大友の兵火に罹り烏有に帰したが、不思議にも諸菩薩の尊像は事無きを得た。元和年間権律師可春上人精魂を傾けて再興、爾来法燈は今日に至るまで絶えないという。その後不幸にも天保九年戌年(一八三八)三月二十二日火災のため諸堂のみは焼失したが、安政年中(一八五四 ~一八五九)現在の建物が再建された。

世代住職
中興可春、二代澄順、三代豪澄、四代観村院豪憲、五代観明院豪誉、六代観昌院豪彗、七代一色院豪裕、八代興禅坊豪栄、九代観乗坊忍海、十代譱行房玄路、十一代観智院恵観、十二代龍光院、十三代慈眼院豪光、十四代円成房了真、十五代正禅坊、十六代龍妙房豪応、十七代至城院豪継、十八代龍光房豪喜、十九代大観心院仙澄、二十代仙哲、二十一代竹中哲雄
   

境内内説明書き立て看板転記


木造阿弥陀三尊像(県指定重文)
            大字麻田 報恩寺 所有

 当寺の本尊である阿弥陀如来像は、像高一米〇二糎で蓮華座反花をもつ台座の上に安置され船形光背を負っている。頭部軀部を通して桧の一本造りで素地彫眼背面を長方形に内刳を施し蓋板をあてている。

 脇侍のうち観世音菩薩像は、頭部及び左肘までを含んだ軀部を桧の一本造りとし、これに肘より先及び右肩を矧ぎ付けてある。両足はいずれも後補である。

 いずれも当時創建時代(平安後期)の作と認められているが、それは特に中尊の両耳朶のうねりの豊かな彫法や両脇侍の低く肉を厚く作る羅髪などが古い様式を示しており、そう云った点で平安後期の一つの典型的で立派な作と云うことができる。


      (昭和四十四年三月二十二日 県指定)



鰐 口 (県指定重文)      
            大字麻田 報恩寺 所有

 鰐口とは仏殿などの軒下につるし参拝のときにならす鈴を扁平にした形のものである。
当寺のものは、青銅製で、径約七十糎の大きさである。
表の銘文に銘帯右上から「奉施人豊後国武蔵郷麻田村金剛山報恩寺観音堂者也」とあり、又左上から「応永五年三月六日十方檀那敬白」とあることから今から約五百年八十年前のものであることがわかる。これは文珠仙寺の鰐口より五十八年前に鋳造されて最も古い、しかもすぐれた作である。

                      (昭和五十年三月二十八日 県指定)  武蔵町教育委員会

画像は、国東市文化財画像から借用

宝 塔

国東市文化財情報によれば、・・・

塔は平らな自然石の上に立ち、基礎は3重で鰻上重の各面は3区に分けられているが何も剖まれていない。

台座はなく、等身は高さに比して太い感じもするが美しい形をしている。首部の部分には国東塔に見られる小孔はない。
笠は軒口2重の照屋根で全体的な反りを見せる。露盤は笠と同一石より成り、表面は基礎同様3区に分けられており、請花以上は失われている。

この塔の高さも露盤までの高さを総高とすると118.5cmである。


置かれている場所は、寺の裏手、奥の院の鳥居の右手。塔は、少々傾き、笠の天辺は欠け、荒廃著しい。

六角供養塔

関東大震災の被災者供養の為建立された供養塔
奥の院

額装に「大権現社」と刻まれた鳥居

奥の院

堂宇があったのだろうか。今は石の祠が並んでいる。
はら石

奥の院上の森の中に注連縄をはられた大きな石。