2009年4月29日 国見町 旧千灯寺 西の不動 wasinosu-dake-9i
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鷲ノ巣岳
鳥居をくぐって程なくの所に山頂を示す標識があった。
鷲巣山 436.5m 新大分100名山。
ここからの眺望も絶景。北に姫島、東に五辻の岩山が見える。

頂上には、大きな石がゴロゴロと転がっている。
ここに立つと右も左も(西も東も)急な斜面で、馬の背に立った様である。自然の偉大さを感じる。
この険しい場所が山岳信仰の場と成ったのだろう。

谷側を覗き込むと東には千灯の集落が、西には西方寺の集落がある。急な斜面には今にも落ちて行きそうな大きな岩がせり出している。

巨石の間を縫うように進むと、その巨石の裏側に蔵王権現と弘法大師像が祀られている。

蔵王権現石像には、文化九年(1812年)八月五日の文字が刻まれている。 地蔵菩薩石像には、大光禅寺、川田政右エ門、井上宗覚の文字が読める。

頭巾を被り、脛を出し、天台密教の法具である大きな数珠を付け、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち足を上げた姿は、蔵王権現と推測する。

私自身、蔵王権現像の姿を見るのははじめてだが、文献等で知る蔵王権現の特徴を備えている。

彫りがはっきりしてシャープな蔵王権現像である。

蔵王権現と弘法大使像に背中を見せながら20mも歩けば屋形の石室が正面(南)に現れる。

国見町の山本さんの情報から、画像向かって右から役ノ行者、蔵王権現、風神(小さな像)、不動明王。右端の役行者の座石には不動明王と彫られている。それぞれ、座の石と上に乗る仏様は不一致の様だ。また、ここで蔵王権現とした像を愛染明王とした説明もあるが?

石室は分厚い自然石を組み合わせた立派なもので、その中に、正面を見ている石像が3体と脇に1体置かれている。どこかに有ったものを持ってきたのだろうか。


風天宮は大きな石を背に南に向いていた。
大きな石には、刻まれた文字跡らしきが薄っすらと見えるが、判読は出来ない。

また、風天宮をWebで調べてみたが、情報はなかった。

察するに、台風の通過の多い地域だから、その被害が無いようにとお願いをする為の風の神様を祀ったのだろう。

南海上から北上してくる台風に向かって風の神が立ち塞がる位置に祀られていると推測する。

どんなに大きな台風でもこの巨石と風天宮を吹き飛ばす事は無いだろう。

登山口に有った案内書きには、先端部に“魔利支天
・弘法大師を祀る”とあった。
更に巨石の間をすり抜けて南の端まで出た。あちこち探したが先端に魔利支天・弘法大師像は見つからなかった。

鷲ノ巣岳頂上の南端には、眼下に西の不動一帯が、その向こうには黒木山や千灯岳・両子山・屋山などが一望できる絶景が広がっていた。

巨石に腰掛けてその絶景を眺めていると、眼下の奇峰を飛び渡る修験者が見えた様な気がした。

足を震わせながら巨石の上に立つと自然の大きさが足の震えを止めてくれる。修験者の力を少しだけいただけたのか?

鷲ノ巣岳頂上 南端からの眺望


千灯寺へ・・・

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