2013年4月24日  金水銀水・戸無し戸の口  kinsui-ginsui
豊後高田市

4月14日に二十数人の大人数で挑戦したが、霊験あらたかな金水銀水・戸無し戸の口には辿り着けなかった。どうやら神様の虫の居所が良くなかったのだろうか。

どうしても諦めのつかない私と“じなし”さんの願いを聞き入れていただいた綾部先生のご配慮で、豊後高田市文化財観光ガイドの河野英樹さん、お仲間の河野清一さん、井堀克昭さんの案内で再度の挑戦となった。お供は、“じなしさん”こと山本純夫さん、私が無理矢理お誘いした河野英男さんと私青鬼くん(高橋誠一)の総勢6名である。

8時半に黄金淵の上に集合し、河野清一さんの軽トラで桂川支流の山田川沿いの道を1.5km程のぼり、そこからは左手の山道を徒歩で進む。
前回はこの1.5kmも徒歩で来たが、今日は軽トラに乗せていただいて楽ちんだった。

ここからは、前回歩いた道を竹藪の手前までおおよそ400m緩やかにのぼる。ほとんど水の流れのない沢を越えて、前回難儀した竹藪を沢沿いに迂回しながらのぼる。

前回は竹藪をやや右方向に突切り、右手の尾根にのぼったが、何も発見できなかった。今回は、やや左手の沢沿いをのぼる。

国土地理院の1/25,000の地図で狙いを定めた尾根とその尾根がつくる深く厳しい谷を目指す。

河野清一さんも、空撮写真を手に事前確認をされたようだが、金水銀水にはたどり着いていないようだ。今日こそは是非とも金水銀水・戸無し戸の口を拝みたいと願う。





村落構造と信仰 段上達雄(別府大学)/大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館文書に以下の記述を見つけたので紹介する。
田染三社の特殊な神事に雨乞いがあった。近世村落ごとに、年年恒例の雨乞いの神事が行われていたらしい。

例えば小崎村では愛宕神社での川潮汲みがある。しかし、いざ干魃となると、それではすまなくなる。まず田染三社各自での潮汲みが行われる。

二宮の場合は、三カ村雨乞いといって、小崎村と横嶺村と間戸村の人達が、桂川の鎧淵に行き、川潮を汲んで二宮に戻り、社殿に川潮をかけて雨乞いをする。鎧淵は、蕗村を除く田染地区の中で、最も桂川の下流に位置している。

それでも降雨が無い場合は、田染三社の氏子全域の村人が、揃って大潮汲みに行く。

鬼を従えた行列がつくられ、豊後高田市の磯町までゆき、海潮を汲んで帰り、田染三社各社殿に海潮をかける。

昭和十二.三年頃行われたのが最後だという。これでも雨が降らないとなると、最後の手段として、川勧請が行われる。

明治八年八月と明治十六年七月、それに昭和四年九月に川勧請が行われた。

昭和四年の川勧請の模様は、現在も本宮の拝殿に懸けられた大絵馬に見ることができる。
この川勧請の記念大絵馬は、田染三社それぞれに奉納されたという。(残念ながら、今は所在不明である。)

鎧淵に竹筏を組み、その上に田染三社の神輿を安置する。
雨が降るまで、神輿はその仮宮に留まり、人々は河原で御籠もりをするのである。同時に、西叡山山中にある戸無し戸の口にも参詣して、雨乞いをする。
戸無し戸の口は、岩陰の湧水で、常時水をたたえているという。そこには大蜘蛛がおり、湧水を守護しているので、普断は決して人が近づいてはならないとされている。

以上にように、干魃の程度が進むにつれて、雨乞いの方法もエスカレートするのである。


狙い目はこのあたり いざ金水銀水・戸無し戸の口へ・・ここから徒歩




竹藪直前で沢を渡る。目に前の石に矢印発見。 岩壁にペンキの矢印を発見!


大きな石の間を抜けてさらに上へ向かう


岩壁に行く手を阻まれ、別の谷へ向かう



金水銀水

GPSと地図を頼りに進むんで来たが、等高線頼りも限界となる。
それぞれ手分けして、狭い谷間を金水銀水を求めてのぼる。私と河野英夫さんは急斜面をさらに上にのぼるが、聳える岩壁に阻まれる。迂回してさらに上に這い上がるもそれらしき穴は発見できない。

私たちの立つ尾根の下あたりから山本純夫さんの呼ぶ声が聞こえる。すぐ足下の谷からのようだ。
元来たガレ石のルートを下って岩壁に囲まれた谷へ降りる。そこから隣の岩陰へ這い上がると、高い岩壁の麓にぽっかり口を開けた金水銀水の洞穴があった。洞穴の前には石碑がおかれている。

それぞれ別の谷筋を金水銀水を求めて這い回っていた皆が集まって来た。

地元の皆さんは、金水銀水にお供えを持参しており、それを供えて手を合わせた。
石碑には、表に「當所有八龍王為雨乞速見郡立石鍛屋長流寺組旱魃ニ付長流寺徒*通正禅雄祈願仕即日有降雨依テ為御願成就此塔建立」と刻まれている。

干魃が続くので、立石村よりここに雨乞いの祈願に来て、すぐに雨の恵みがあったので、この塔を建立したとの事のようだ。

金水銀水の泉をこの目で見たいが、中は真っ暗で見えない。山本さんが腹ばいになって、穴に頭を突っ込むが、良くは見えなっかたようだ。
太陽の光線が少し差し込めば、右手の水面が金色に、左手の水面が銀色に輝くと言い伝えられているが、一度みたいものだと思う。デジタルカメラで穴の中を撮影したが、あまりはっきりとは中の様子を確認することは出来なかった。

あまり贅沢は望まずとも、ここへ到達できた事を素直に喜び感謝しよう。 




たどり着いて安堵の探検隊 穴の中をのぞき込む山本さん


雨乞祈願のお礼に建立した塔


大正十五年に立てられた石祠/河内村大字佐野氏子中