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岩戸寺から・・・
4月2日(金)
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石立山岩戸寺→治地山大聖寺→大聖寺五輪塔群→久保山長慶寺→三十仏岩屋(遙拝)→峨眉山文珠仙寺→仙ノ不動岩→奥の院→清滝観音→龍下山成佛寺(昼食)
→大嶽山神宮寺→参社山行入寺→桜八幡社・興導寺(遙拝)→医王山丸小野寺(宿泊) |
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岩戸寺の坂を下り、県道を3kmほど歩いて治池山大聖寺へ向かう。大聖寺は、総責任者を務める石光住職が守る古刹である。
治池山大聖寺
沿革 延文三年(一三五八)宗慧上人により開基、一本堂、一鎮守春日社、末社堂十三を領していたが、天正十八年(一五九〇)二月、類火により焼失。
その後正保年間末より延宝にかけて、順慶和尚により現在地に中興。現在の堂宇は、明治十三年に改築、平成五年に大改修されたものである。
[若宮八幡縁起」によれば、鎌倉、二階堂左京之進は、将軍の命により鎮西に下向。年経ち、嫡男六丸公、母君、家臣等、後を慕って来浦の浜に漂着、大友氏により左京之進の戦死を知らされる。
以後、大友氏の命を受けた、国東の田原氏により庇護を受けるが、いろいろな軋轢により、康安元年八月、六丸公外一族共々自害する。以来、大聖寺は、二階堂の菩薩寺となる。また田原氏が、幕府の難を逃がれる為、六丸公を祭神とする若宮八幡社を建立、大聖寺は、その別当となり、社の近くに法光院を建立し、社僧をおいて毎日不怠参詣。
田原親家の代になり、神祀祭礼は中絶、法先院は破却し、本尊の観世音菩薩は大聖寺に移された。
法光院の棟札が、今も歴史を物語っている。旧大聖寺跡五輪塔群は、それらの墓碑や供養塔である。 |
大聖寺 石光住職 |
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寺院行事
修正会(本寺) 一月一日
修正会人日寺 一月十日
修正会薬師堂(蘇民将来) 一月十三日
春季大法要 四月
山家会(三日開) 六月二日
二階堂供養会 八月九日
春日大明神祭 八月十一日
施餓鬼会 八月十六日
天台会(三日間) 十一月二十一日)
・その他、八社春秋祭に出向法要
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寺宝
二階堂六丸公の差添一ロ
狩野安仙筆 竜一幅
文化財
町史跡指定
旧大聖寺跡五輪塔群(南北朝から室町時代の五輪塔宝篋印塔など約三百点)
春日大明神鳥居(三浦梅園書による銘文鳥居)
付展堂宇
鐘楼門(文政八年) 庫裏 十王堂
大師堂 鎮守 春日大明神(石柱)
旧大聖寺跡五輪塔群
霊場案内 六郷満山霊場第二十八番 |
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大聖寺五輪塔群への参拝
大聖寺の石段を下ってきた峯入りの一行は、道路を挟んで南側の川沿いにある大聖寺五輪塔群に参拝した。
昨日の雨も上がり、菜の花の黄色と桜の桜色に元気づけられながら今日の峯入り回峰が始まった。
ここからは、オレンジ道路を通り、川を渡って川沿いの道を長慶寺へ向かう。錫杖の遊環(ゆかん)の音と六根清浄のリズムに足を合わせて軽快に歩を進めていく。
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以下の画像は、国東市赤松 山本氏に提供いただきました。 |
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五輪塔群に参拝する一行 |
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五輪塔群を後に、長慶寺へ向かう |
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