suc4-d02 ・・ 2007/11/19 ・・ 日帰りの奈良東大寺 ・・・・



午後、何となく奈良の東大寺の仁王さんをこの目で見
たくなった。
もしかして、日帰りで仁王さんに会えるかも?と思い、
早速インターネットの電車時刻表で調べてみると、可能
性大と出た。

JR杵築駅6時21分L特急で小倉へ出て、小倉から京
都までは新幹線ひかり、JRみやこ路特急で京都から奈
良へ・・・奈良着11時3分。

帰路は、17時半奈良発で京都17時12分、日豊本線
JR杵築駅着22時50分。

これなら、奈良観光の時間が6時間ほど取れる計算とな
る。私の主目的の東大寺の仁王さんをこの目で見るには
十分だろう。・・・早速、明日決行と決めた。

11月19日(月曜日)朝5時10分目覚まし時計の音
でベットから這い出す。
顔を洗って身支度して、リュックのカメラと観光ガイド
ブックを確認して5時50分、車で我が家を出発した。

6時10分に日豊本線杵築駅近くの杵築市営駐車場に車
を停める。
駐車料金は一日300円。まだ係員の居ない駐車場で、
置いてある駐車用紙に車のナンバーを書いて駐車料金の
300円をくるんで料金ポストへ放り込む。

駅へ着いて行程表を渡し奈良までの往復切符2枚とお
願いした。
行程表通りに処理すればいいと思うのだが、東京行きひ
かりを見て東京までですか?と理解しがたい質問をして
くる。こんなやり取りを数回繰り返したが無事列車到着
までに杵築−奈良の往復切符を手に入れる事が出来た。
やれやれ・・・後ろに並んでいたお客さんに気遣いした
のは駅員さんではなく私だったような気がした。

6時21分大分−博多行きのL特急の1号車へ乗った。
席は5割程度の空きで難なく座る事が出来た。この電車
には過去何度も乗ったことがあるが、指定席は満席で自
由席がガラガラという珍しい電車である。

杵築駅発車時は真っ暗だった空も宇佐あたりから徐々に
東の空から白み始めてきた。

宇佐、柳ヶ浦、中津、・・・・と停車駅で人は空席を埋
めて鵜の島あたりからは通路まで人が立つ状態となって
いた。そう言えば学生さんやサラリーマンは通常の日、
私は休暇の旅行中である。少し後ろめたい気もするが、
まあイイか・・・

まもなく小倉駅に到着した。新幹線への乗り継ぎにあ
まり時間がない。気ぜわしく階段を上って新幹線ホーム
へ向かう。
ここでアクシデント発生。新幹線ホームと思って改札機
に切符を入れたらそこは出口だった。急いで駅員さんを
呼んで間違いを告げ切符を取り出してもらう。その切符
を握りしめて今度は間違いなく新幹線の改札機を通過し
て新幹線の東京方面へのホームへ駆け上がる。
のぞみ6号はすでに入線していた。無事電車へ滑り込ん
でセーフ。

この電車も比較的空いていた。窓側は冷えると思い、3
列席の通路側と真ん中へ腰掛けた。これで、京都までは
のんびりとガイドブックでも眺めて奈良の観光情報でも
詰め込んでおくことにする。

そうそう、朝食がまだだった事に気づいて社内のワゴン
販売でサンドイッチとコーヒーを買った。

朝はあまり沢山食べないので二人でサンドイッチを1パ
ックを買った。卵にハムにトマトスライスのサンドイッ
チで十分に満腹となった。

ジョルダン(株)検索画面

新幹線の心地よい揺れと振動に贅沢な居眠りを楽む。
時刻表通り10時7分京都へ到着した。

今度は、京都と奈良の間をつなぐ奈良線へ乗り換える。
表記案内で迷うことなく奈良線のホームへ到着。

平日にもかかわらずリュックを担いだり観光パンフを持
った一見して観光客と理解できる客で席の大半が埋まっ
ていた。もちろん私たちも同じように見えている事でし
ょう。

今のうちにトイレを済ませておこうとホーム脇のトイレ
へ入る。暫く忘れていた懐かしいトイレの臭いが充満し
ている。4つ並んだ小便器の真ん中で用を足していると
右隣に学生、左隣に40代なかばのサラリーマン風の背
広の紳士が並んだ。少々ため込んでいた私より先に終え
た両隣のオーバーアクションに少々驚き飛沫の行き先を
心配した。

これって、京都の文化だろうか?・・ふぅ〜被害無し。
事な無きを得て電車へと戻る。

まもなくみやこ路特急は京都駅を発車して奈良へと向か
い走り始めた。
電車で京都の家並みを見るのはこれが2度目かな?10
年ほど前になるが、はじめて京都の住宅を見て驚いたこ
とがあった。それは、その時見た住居の大きさである。
なんと小さな家の多い事かと思った記憶がある。今日も
その事を思い出しながら車窓の家々を眺めた。

空は、雲が覆っているが天気予報では曇りのち晴れの予
報。少し切れた雲間から青空が見えている。
午後の晴天を期待したい。

電車は快調に進む。今度は車内の観察をしてみよう。
通路を挟んで向こうの席に70代後半のご夫婦が座って
いる。なにやら饅頭らしきものを取り出してパクつきな
がら大きな声で話をしている。味のある京都弁で昔話を
一方的に話続けるお爺さんの顔を眺めながらうなずいて
いるお婆さん。・・・これが京都流の会話だろうか?



飽きることなく車窓や車内の様子を楽しんでいるうち
にみやこ路快速は終点の奈良駅に到着した。時間は11
時3分。

さて、ここから奈良公園へ向かえば興福寺経由で東大寺
へ行ける。
バスに乗れば8分と観光ガイドに書いてあった。早速バ
ス乗り場へ向かう。気温は13℃ど結構寒い。このまま
バスを待つのは厳しいので歩いて暖まろうと歩き始める。

地図の指示通りに三条通り商店街を歩く。商店街の様子
や歩く人々を観察しながら奈良の今の文化を観察し始め
る。
石畳の狭い道路を結構な速度で走る奈良ナンバーのトラ
ックや乗用車にいささか忙しなさを感じる。

商店はどこにでもある生活に密着した商売の店。その間
に観光都市らしいお土産屋さんが並んでいる。せわしく
客を呼ぶこともなく静かに商売をしている。これが奈良
らしさなのか?

気が付けば右手前方に猿沢池が見えた。私が高校の修学
旅行で泊まった旅館が確かこの近くだったが思い出せな
い。東大寺を見てその旅館まで歩いた記憶だけが残って
いる。

猿沢池を右手に見ながら坂を上ると左手に興福寺の案
内板があり、その方向を見ると五重塔が見えた。

車のとぎれるのを見計らって道路を横切って興福寺の境
内へと入る。

まずは、東金堂の優美な姿とその右手の五重塔の存在感
に圧倒される。
天気予報通り晴れ渡った青空を突き刺す五重塔だが鋭さ
よりも繊細で優しい感じがする。ものの本によれば、貴
族仏教を背景としているからだそうだ。

興福寺は、藤原鎌足の私邸内に建てられた山階寺。平城
京遷都に伴い和銅3年(710年)に現在地へ移し興福
寺とした。・・とある。

東金堂の中へ入る。
神亀3年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病
気全快を願って造立されたとある。
薬師如来像を本尊とし、日光菩薩像、月光菩薩像、四天
王像が安置されている。
過去六度もの被災、再建を繰り返して室町時代応永22
年(1415)に再建されたものだそうだ。



・・







興福寺から歩いて東大寺へと向かう。途中の奈良国立
博物館を覗きたかったが休館日だった。残念!

10分ほど歩いただろうか、南大門が見えた。平日のせ
いか参道を埋め尽くすほどの人は無く、歩きやすい。
鹿ものんびりと観光客に餌をねだっている。

さあ、どうしても見たかった東大寺南大門の仁王さんに
会える。・・・・

南大門の写真も撮らずに仁王さんの見える場所へと石段
を上る。
想像以上の大きさに唖然!もう少し顔の様子が見られる
と思ったのだが、高すぎて睨み付ける目だけが鋭く私の
視界に入るだけ。その上忌々しい金網が下から見上げる
視界を遮る。
それでも金網越しに素晴らしい造形に圧倒されながら運
慶と快慶の姿を想像しノミ跡を目で追う。何を物差しに
してこの像をイメージしたのか?この造形は、人の骨格
や筋肉の仕組みや血管のすべてを知り尽くさ無ければ作
り得ないだろう。
私の想像だが、たぶん運慶も快慶も人体の研究を相当緻
密行ったに違いないと思う。もしかしたら、解剖まで行
ったのでは無かろうかと思える造形であった。

興奮しながら望遠レンズでその表情を覗いた。
素晴らしい造形に始終圧倒されながら・・・来て良かっ
た。


基幹材重量2.6トン、高さ8.4メートルの巨大な木
像。
門の向かって右に吽形、左に阿形を安置する。一般的な
仁王像の安置方法とは左右逆である。

1988年から1993年にかけて造像以来初めての解
体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発
見された。

それによると、阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師
13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が
小仏師12人とともに造ったものである。

これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって
造った」とする従来の通説とは若干異なっているが、い
ずれにしても、運慶が制作現場全体の総指揮に当たって
いたとみて大過ないであろう。

・・・ウィキペディアフリー百科事典他による・・
________________________

もう一つの目的であった国東半島の仁王像との関わりは
?・・・ 何も掴めなかった。あまりにも巨大で繊細な
東大寺の仁王だった。
国東半島の仁王は国東半島の仁王の素朴な美で良いと感
じた。

・・





少し高ぶった心を沈めながら南大門をくぐって大仏殿
へと向かう。
東大寺の大仏は大分県の宇佐神宮の支援で完成をみたと
の事。

南大門の大きさと仁王の大きさに圧倒されたが、大仏殿
はさらに大きくそびえていた。回廊から紅葉した桜越し
に金堂をしばらく楽しんでから大仏殿へと向かう。

東大寺の大仏殿の前庭には国宝金銅八角燈籠がある。
金銅八角燈籠 にはすばらしい菩薩がレリーフされてい
る。
大仏開眼とほぼ同時期に制作された燈籠は、総高は約
4.6m。天平時代の面影を今に伝えている。

八面の火袋(ひぶくろ)のうち四面に唐獅子、4面に音
声菩薩(おんじょうぼさつ)像が、笙・横笛・銅跋子・
尺八をそれぞれ奏でている様子がレリーフされている。
すばらしい造形である。



さらに進んで大仏殿直下から見上げると、あらためて
その大きさに圧倒される。1200年前の想像し得ぬ建
築技術の凄さに声も失う。・・・凄いの一言しか見つか
らない。

この建造物を造るには森の木から・・そう想像すると今
の自分が何だろうかなんて思ってしまう。・・小さい、
小さい・・・

石段を上って大きな敷居をまたいで大仏殿へと入る。
目の前には金色に鈍く輝く大仏が柔らかな笑みを浮かべ
て南大門の方角を見ている。この大仏建立に関しては、
遠く九州は大分県の宇佐八幡社の協力があったとは・・
ここまで来て宇佐八幡の力を知る。

大仏殿右手に手向山八幡宮が東大寺を守る神として祀ら
れている。
天平勝宝元年(749年)宇佐八幡宮より、大仏鋳造の
成功を祈る神として神輿が迎えられ、その後東大寺守護
の神として祀られたとある。東大寺の八幡池(鏡池)の
傍に手向山八幡宮が建立されている。
宇佐八幡宮を習った、奈良の都の「神仏習合」の始まり
とも云われている。

・・・ウィキペディアフリー百科事典他による・・・

大仏殿は大仏を安置するために建立されたが、現存の
大仏殿は江戸時代に再建されたもので横幅は3割ほど縮
小されているとのこと。
木造建築としては世界最大規模とある。・・凄い!

内部の大仏さん(盧舎那仏坐像)は像高15メートルあ
り、銅が約500トン、金が440キログラムとの試算
値もあるが?


現在の盧舎那仏坐像は地震や戦火で破損し、幾度も補鋳
されたものとある。最初の盧舎那仏坐像は今のものより
大きかった様だ。


大仏殿の内部はストロボ撮影が許可されている。この巨
大な空間でひ弱なストロボの光は大仏さんの顔までは届
かない。デジタルの強みで、ISO感度を1000まで
上げてしっかり構えてレリーズボタンを静かに押す。
・・少しぶれ気味だが・・イイか?

大仏殿には多聞天像(金堂東北隅)、広目天像(金堂西
北隅)、虚空蔵菩薩像、如意輪観音菩薩像が安置されて
いる。
あの有名な穴の開いた柱も見ましたが、くぐっては来ま
せんでした。
柱は1本の木ではなく、数本を合わせた寄せ木の様に見
えました。

東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、
一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、奈良市の
東大寺金堂(大仏殿)の本尊である。聖武天皇の発願で
天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年
(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れ
の儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修
がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部など
ごく一部が残るにすぎない。「銅造盧舎那仏坐像」の名
で彫刻部門の国宝に指定されている。

・・・ウィキペディアフリー百科事典他による・・・

・・
廣目天



四月堂から二月堂

大仏殿をでて太郎天さんお勧めの四月堂へと向かう。
少しつま先上がりの道をくたびれた足を激励しながら上
る。
行き交う人々の多くは韓国語や中国語を話している。
今日は、日本人の方が少ない様な気もする。

大仏殿の大屋根を見下ろす中腹についた。大きな鐘を吊
す鐘楼があり、その鐘の大きさに驚く。ここすべてがガ
リバーの街の様に感じる。

この鐘の重さは?、この鐘をどうやって作ったのか?、
この鐘をどうやって吊したのか?この鐘の重量に耐えら
れる鐘楼の強度はどうやって計算し、その柱を決めたの
か?・・多くの疑問が涌くが誰も答えてはくれない。

風情ある二月堂への道を上る。紅葉が紅葉を始めている
が、まだ少し早い様である。鹿が時折現れてえさをねだ
る目で私を見るが、期待できないと悟って早々にほかの
観光客へと向かう。

やっと三月堂と四月堂のある場所へ上りついた。数台の
タクシーが停まっている。タクシーでも上れるんだ・・
年をとっても四月堂には来れる事を知る。

四月堂を覗いていると、中から「どうぞ上がってお参り
ください。」とお堂の中にいたお坊さんに声を掛けてい
ただいた。靴を脱いで中央の千手観音さんにお参りし、
続いてお目当ての普賢菩薩さんの前で覗き込むが照明が
無くお顔がほとんど見えない。像の背中に蓮座を乗せて
その上に座っている。
もう少し照明が明るければと思う。私には像に見えたが
もしかしたらバク(空想の動物)かもしれない。

千手観音は立ち上がって覗き込む。これほど近くでまじ
まじと見たことはなかった。千の手に持つ道具の中には
人間の頭蓋骨もあった。
世のすべての極楽地獄を、幸せ苦しみのすべてを千の手
に持っているのだろか?
すばらしい仏教美術に見とれる。狭く薄暗い空間は宇宙
そのものかもしれない。果てしない想像が広がる不思議
な空間であった。



今度は、二月堂への石段を上る。上り着いて振り返る
と奈良の市街が広がっていた。

昼を少し過ぎていた。そろそろ昼食と思うが、・・・ふ
と目の前に抹茶とおはぎのメニュー看板がぶら下がって
いる。昼食前の小腹に丁度イイかと注文する。直に運ば
れてきた。抹茶をすすりながらおはぎを頬張る。期待は
少し外れて冷たいおはぎだった。出来たては期待すべく
も無い。冷蔵庫から出してきたおはぎに体は冷えた。

店番のおねえさんはなんと中国人。店の奥で二人のお姉
さんが中国語で会話していた。
・・お寺の境内も中国人?・・・時代は変わっていく。

まあ、空腹はこれで解消。結構満腹になった。



重い腰を上げて再び二月堂の散策へ。

二月堂から大仏殿の大屋根越しに奈良市街が広がってそ
の向こうに生駒山が一望できる。太郎天さんの二月堂に
「奈良の展望台」と紹介されていたが、その意味納得!
しばしすばらしい展望を楽しむ。
ここで記念の手ぬぐいとお土産のお守りをいただく。

その間に忙しないご一行様が到着された。護摩木百円を
見つけて、これ一本で肩こりに効く。按摩に行けば数千
円とられる。こんな安いものは無いと・・しきりに同行
の隣人に話しかけている。少々酒が入っているのか、そ
れとも、日本人特有の集団の気分高揚か?小学生にも劣
るはしゃぎに些か閉口するが、考えようによっては可愛
くもあり。団体旅行なら私もこの可能性有り?



さて、二月堂を下ろうとしていると後ろから元気なガ
イドさんの声が響いてくる。振り向けば七十半ばかそれ
以上か?身なりは制服姿のガイドさん。
旗を大きく左手に掲げて二十人ほどの団体さんを案内し
ている。
二月堂の手洗い水は鹿のおしっこが入っているので飲ま
ないでください。・・何度も繰り返していた。

団体さんが私たちを賑やかに追い越して行った。その人
達の会話の訛りは紛れもなく大分県人だった。

先頭を元気よく歩くガイドさんにやっと着いて歩く二十
人程の気持ちが分かる。・・年寄りに負けずにがんばれ
よ!・・ははは・・

私たちはなるべく風情のある裏参道を下る。途中瓦を
練り込んだ土塀や石畳や大湯屋の風景を楽しみながら大
仏殿の裏へと出て正倉院への道をたどる。

道筋にはスケッチブックを広げて風情ある風景を写し取
る人達を多く見かける。そっと覗き込むと少しはにかん
で会釈を返してくれる。私も絵を描きたいと画材を買い
込んではいるが、一向に実行できないでいる。

我が家の近くにもこんな風情あればすぐにでも実行出来
るのだが・・と言い訳を考える。

裏参道を下って大湯屋を過ぎて大仏殿の裏へと出た。こ
こに大仏殿の裏手あたりの紅葉を狙ってかカメラマンが
多い。

カメラマンの特徴はややご高齢のおじさんおばさん達で
ある。立派な一眼レフに高価そうな望遠レンズがついて
いる。どこへ行っても高齢者カメラマンが元気いっぱい
動き回っている。私たちよりはるかに元気で活動的であ
る。

正倉院への道筋にある大きな銀杏が見事な黄金色になっ
て散り始めていた。

正倉院は修学旅行で見た記憶があるが、その記憶とはか
なり違って見えた。理由は分からない。

ここまで歩くと少々足も疲れを感じてきた。
まだ時間は早いが疲れた。食事どころにでも入って一休
みと思うがおはぎが居座っている。






そのまま歩いて興福寺へ戻って秘宝展を覗くことにし
た。
運良く、日頃は見ることの出来ない寺宝の秘仏が国宝館
で公開されている。

本尊の聖観音菩薩立像、阿修羅像、八部衆像等々・・仏
教美術の繊細且つ大胆な造形のすばらしさに感激した。

数点紹介すると・・聖徳太子二歳像、八部衆立像、十大
弟子立像、天燈鬼、龍燈鬼など。天燈鬼、龍燈鬼は対で
阿吽の形をしている。
鬼を一つの形としている像は珍しいのではと思う。

隅から隅まで見逃す事の無いように秘仏を見せていただ
いた。


興福寺秘仏特別公開パンフレット



そのまま歩いて興福寺へ戻って秘宝展を覗くことにし
た。
運良く、日頃は見ることの出来ない寺宝の秘仏が国宝館
で公開されている。

本尊の聖観音菩薩立像、阿修羅像、八部衆像等々・・仏
教美術の繊細且つ大胆な造形のすばらしさに感激した。

数点紹介すると・・聖徳太子二歳像、八部衆立像、十大
弟子立像、天燈鬼、龍燈鬼など。天燈鬼、龍燈鬼は対で
阿吽の形をしている。
鬼を一つの形としている像は珍しいのではと思う。

隅から隅まで見逃す事の無いように秘仏を見せていただ
いた。


東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、
一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、奈良市の
東大寺金堂(大仏殿)の本尊である。聖武天皇の発願で
天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年
(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れ
の儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修
がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部など
ごく一部が残るにすぎない。「銅造盧舎那仏坐像」の名
で彫刻部門の国宝に指定されている。

・・・ウィキペディアフリー百科事典他による・・・


ただいま3時半。約4時間ほどのウォーキングをした
ことになる。

歩き疲れた。予定では5時半奈良だが、京都まで行って
夕食でもゆっくりいただくことにした。
ブラブラと猿沢池に降りて歩く。奈良は絵を描いている
人が多い。お寺の境内や道端でスケッチ教室らしき集ま
りも見た。ここ猿沢池の土手でもスケッチブックを広げ
て写生をしている。

画題は秋の景色かな?それを横目で眺めながら奈良駅へ
と歩く。


奈良3時45分発鈍行で京都へ向かう。京都着5時頃だ
ったかな?
少し駅ビルを散策して最上階のレストラン街へ向かう。
あちこち品定めをしてキノコソバセットに決めた。

しばらく並んで席の空くのを待ち、カウンター席に案内
された。早速決めていたキノコソバセットを注文した。
運ばれてきたソバを早速すする。
出汁は透明な関西風のあっさり系。具に3種類程のキノ
コがのっている。たぶん、マイタケとその他かな?
それにおし寿司とデザートのわらび餅。

熱からず、温からず。風呂では無いが、実に微妙な温度
加減で運ばれてきた。空きっ腹に急いでかきこむのに実
にイイ。かと言って、もう少し熱い方が・・とも思わせ
ない良い温度である。この微妙な温度が客に満足感を与
えて客の回転も良くしているのだろう。都会の知恵か?
田舎の店は熱いか温いかのどっちかが多い。

さて、腹も満たして後は7時12分の新幹線に乗るだけ
となった。

時間はまだある。お土産でもと思い駅ビルを徘徊する。
トドの詰まりは地下の食料品コーナー。京都奈良特産の
漬け物からスイーツまで盛りだくさん。あちこち迷いな
がら新幹線でのお楽しみから家族へのお土産を選ぶ。
・・これも結構楽しい。


さあ、そろそろ新幹線の時間が近づきました。お土産
をぶら下げてホームへ上ります。
陽もすっかり暮れて京都の街のネオンがホームから見え
ます。今度は今日とかな?

新幹線が到着しました。シートに疲れ切った全身を預け
て、フッ〜・・・あとは小倉まで居眠りでも楽しむこと
にしましょう。そうそう、寝る前に買ったエンドウ豆の
せんべいをいただかなくては・・

あっという間に小倉に到着しました。ここから日豊本線
に乗り換えます。デジカメの画像を見ているうちに杵築
に着きました。駐車場から愛車で自宅へ・・無事到着。
11時でした。

少々心配だった冒険旅行日帰りの奈良、結構楽しめたイ
イ旅でした。


今度は京都ですね。・・いや、もう一度奈良かな?

風呂にゆっくり浸かってくたびれた足をもんで寝ましょ
う。・・お疲れさんでした。・・


あっ、・・それから、長々と書いた旅行記におつきあい
いただきありがとうございました。皆さんも是非こんな
ばかげた挑戦をしてみませんか。・・成功したらお教え
ください。