宇佐市麻生 仙岩山奥の堂仁王石像 ・・・・ suc2z1t



2008/01/19


麻生の高野堂仁王さんを通り過ぎて、上麻生
のバス停(公民館前)から川沿いに2kmほ
ど上る。車で仁王さんの前まで行けるが、途
中に「この先行き止まり」の表示がある。私
はここの少し手前に車を停めて歩いた。ここ
からは歩いて2百メートルくらい。

仁王さんは、横一本の鳥居の向こうに鳥居を
くぐり来る者を睨んでいる。
像立は安永九年(1780年)、像高は、阿
形176cm、吽行172cm。

像は丸彫りの静かな造形。顔の表情も穏やか
で怖い仁王さんではなく、凛々しい侍顔の仁
王さん。
     右が上麻生の公民館・バスの終点。この道を
     まっすぐ2km程上る。


ここまで来るのにあちこち回り道したが、仁
王さんは健脚の神。私の足を鍛えてくれよう
としたに違いない。それならば、仁王さんの
背中に続く奧の堂まで上ってみようと歩き始
める。山道は、整備されてはいるが、ズルズ
ルと滑る。道の両脇には、セキショウが群生
している。

日頃の運動不足かしばらく上ると膝が笑って
くる。膝間接を駆動する筋肉が限界を超えた
ようだ。両手で膝を押さえて地べたを睨み付
けながら一歩一歩上る。汗が噴き出して顎か
ら足下へしたたり落ちる。

これが今の自分の体力。頭の上の目標も、そ
こへ続く一番の近道も見えているがこれ以上
は急げない。「仕事もこれに同じだろうな」
なんて勝手な理屈を発見して自分を慰める。

気がつけば目の前に奧の堂があった。私には
とてつもなく長い時間だったように感じたが
・・・・・・
腕時計は15分しか進んでいなかった。

天をさす様にそそり立つ奇岩の下に奧の堂は
あった。ここまで来れた事に感謝して手を合
わせ帰路の無事をお願いした。

御堂には木造の仏様が祀られていた。岩山の
オーバーハングした部分に潜り込むように建
てられている御堂は、国東半島でも見かける
岩屋といわれる作りである。

秋の収穫に感謝して、新しい年の五穀豊穣を
願ってお祭りをしたのだろうか、境内は綺麗
に掃除されていた。

しばらく、ここからの眺めを楽しんで、来た
山道を下る。上り以上に膝が大笑いして私の
体をうまく支えてくられない。一歩一歩慎重
に滑る道を下る。途中2度程足を滑らせたが
怪我もなく鳥居と仁王さんの場所まで下り終
えた。




説明書き


仙岩山

国指定名勝耶馬溪  宇佐市大字麻生字仙岩山

 奇岩・奇峰の独特な風景をなすこの一帯は、高野堂とともに麻生耶馬と呼ばれ、国指定名勝耶馬溪に
含まれています。

 江戸時代の「太宰管内志」には、宇佐郡麻生郷の宝陀寺鎮守(奥の堂)にまつられている五社権現の
ことが記されており、法道仙人がこの地を訪れた時に白山権現が出現し、後に稲荷・妙見・文殊・観音
を合わせて信仰したことなどがわかります。

 また、他の記録には、宝陀寺は室町時代の1390年頃に春秀が建立した、あるいは戦国時代の1478年に
大内政弘の寄進で竺心和尚(ちくしんおしょう)が建立した、とも記しています。

 奧の堂に登る山道の入り口には、江戸時代中頃の1689年(元禄二年)に奉納された鳥居があります。
また、「麻生村年代記録」には1772年に石の仁王像が建立され、1801年の落雷で奥の堂が仏像とともに
消失したことなどが記されています。以前は干ばつになると汐汲と称し、多くの村人が霊雨を願って参
詣していました。

 この度、地元有志の協力により奥の堂境内の整備などを行い、自然と歴史に恵まれた宗教的霊域を再
興することにしました。多くの皆さんの参拝をお願いいたします。

                      平成十六年四月二十日   宇佐市の文化財を守る会