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神仏分離 ( しんぶつぶんり)
神々の明治維新
慶応4年(1868)明治維新政府によって
出された一連の指令にもとずき展開された神
仏習合(しゅうごう)禁止の宗教政策。
神道擁護の目的があり、当然仏教勢力には大
きな打撃となった。
3月17日の社僧 別当(べっとう)の還俗(
げんぞく)命令に引き続き、28日には神社
が仏語を神号とすること、仏像を御神体とす
ることを禁じ(神仏判然令)、閏(うるう)
4月19日には神職者およびその家族は神葬
祭を行うよう命じた。
明治5年(1872)2月に出された寺院に
よる宗門改めの特権剥奪(はくだつ)は、そ
の一つの帰結であったといえる。
(宇佐宮での神仏分離)
神仏分離の諸指令は、一般的には諸藩領より
維新政府の直轄地で、しかも神仏習合神社の
多い地域で劇的な展開をみせることとなる。
古くから代表的な神仏習合の神社である宇佐
宮は、明治2年には日田県管轄となっており
大分県下では最も激しい廃仏毀釈(きしゃく
)が行われた。
神職による「破仏乱暴ノ所業」が激しく、弥
勒寺(みろくじ)の本尊弥勒菩薩(ぼさつ)
像は極楽寺(ごくらくじ)へ、薬師如来像 |
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・・・ |
日光月光菩薩像 不動明王像 愛染明王像
仁王像は大善寺(だいぜんじ)へ、また一切
経は西光寺へそれぞれ売り払われたほか、鐘
楼 経蔵 楼門および祇園社の鎮守などが破
壊された。
また、2年3月には、心乗坊 喜多坊 安門
坊永勝院など、宇佐宮と御許山(おもとさん
)正覚寺(しょうかくじ)の社僧21名が還
俗した。 |
この記述から、宇佐神宮の呉橋の先にある大
善寺を訪ねてみた。
小さな寺の境内には元気な犬が私を迎えて、
仁王以上に威圧した。・・・ははは
犬をなだめながら境内をうろついてみたが、
仁王像は発見できなかった。
気持ちいい初夏の風を受けながら寄藻川の土
手を歩いて宇佐神宮の宝物館へ向かう。
もしかしたら、宝物館に何か情報があるかも
と、覗いて見ることにした。
入館料300円を払って入館。先客は無く、
私一人となった。
入って直ぐの右手の展示室を覗くと見事な木
造の仁王像があった。
説明書きを見ると、弥勒寺の仁王門にあった
仁王さんであることが確認できた。 |
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