suc2a1m.htm ・・・・・ 安岐町朝来字弁分 八坂社の仁王石像

2006/03/19

安岐町から豊後高田に通じる県道を上り、安
岐ダムから下る安岐川と朝来川が合流する地
点から朝来川沿いに上ると、最初の集落が朝
来(あさく)の弁分(べんぶ)地区である。
その地区に大きな神社がある。この神社が八
坂社。
境内には大きな楠と馬の像がある。
仁王は、境内を真っ直ぐ歩いて、左脇の五霊
社前にたっている。

姿は見慣れた形だが、顔つきがとてもユニー
クである。
突き上げた下唇で上唇を押さえた吽形の仁王
さんとへの字に口を開けた阿形の仁王さんで
ある。
手には金剛杵などは無い。

県指定有形文化財の板碑や五霊社を見ること
が出来る。


八坂社板碑やさかしゃいたひ)
県指定有形文化財/昭和五十九年三月三十日指定

・所在地 大分県東国東郡安岐町大字朝泉ネ弁分
・所有者 八坂社
・製作年代 元弘三年/一三三三

八坂社は、天平神護元年/七六五 に開始されたという
宇佐行幸会(宇佐宮下官の旧御験および旧神宝等を奈多
官へ納め奉る宗教儀礼)の経由途中の止宿地であった。

この事は、八坂社のある弁分の地が神領であるとともに
宇佐八幡宮と密接な関係にあったことをうかがわせる。

また、八坂社正面に向かい右手に建立されている板碑は
宇佐八幡宮により培われ成長発展した六郷満山の勢力が
衰退を遂げていいく時期のものである。



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この時期、武士の押領や重圧により抗争が続
き、人々の聞にほ弥陀信仰が普及し、弥陀本
願である未来往生の願いの現もれとして、板
碑の造立が生み出されたという。
通常三角山形、二条の彫り込み線、額部、身
部の構成で一石をもって彫成している。
板碑は身部一面になっていたが、板碑の下辺
に造出しがあって、碑身区劃を明確にし、下
部に柄を作り出して台石に差し込んでいる。


安岐町教育委員会


五霊社(ごれいしゃ)
町指定有形文化財/平成十三午七月十六日指


・所在地 大分県東国東郡安岐町大字朝来
・所有者又は管理者 弁分八坂社
・年代 元禄十年/一六九七

弁分八坂社の五霊社は、大正八年/一九一九
に八坂社本殿新築に伴ない、旧本殿を移築し
たものです。
小屋裏内に昭和七年/一九三二の修理棟札が
残されており、これに、元禄十年/一六九七
の建立とあり、裏面には当社が五霊社、天満
社、大年社の合祀であることが記されていま
す。

五霊社は彫刻で賑やかに飾り、一見すると新
しく感じられますが、暮股や頭貫などの絵様、
繰型は江戸中期の特徴をよく表しています。
建立のち、正徳五年/一七一五、天明二年/
一七八一に修理が施されたことが記録からわ
かります。

また、随所にある彫刻は地方色豊かで、特に
向拝中央にある鬼は他に例を見ないものです。
さらに、現在は風化により目立たなくなって
いますが、当初は弁柄を基調にした彩色を施
していたようです。

・構造形式 三門社流造、向拝一間、鉄板葺
      (もと柿葺)
・平面 身舎桁行三間、梁間二間、内陣外陣
      の二室に区切る
・身舎柱 延柱で側廻りに土台を廻し、その
      他は礎石立ち
・向拝 面取りの角柱で、礎石立ち

・頭貫 中備と一体化させ、鬼と龍の彫刻を
      施す
・軒 二軒繁垂木
・妻 二重虹梁
・間仕切り 内外陣境が藁座を入れ、板扉開
・天井 内外陣ともに鏡板天井
・床 床下は梁間方面に張る
・小屋組 柱上に荒削りした五平の小屋束を
      立て、貫で繋ぐ
・覆屋 建物保護のため昭和六十年設置
・平成十六年三月

安岐町教育委員会