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           山中多市



わたしが会ったとき三十六歳で そのときは新宿小田急線のホー

ムだった

流浪の身のうえとかで かなりいたんだみなりに すごくひかる

目つきだった

「多市さん」

と声をかけると

「なんだ松本か」




その後

すこしずつ名前がでるようになり

演劇関係の仕事をしているらしかった


それが

急に

国電爆破の指名犯人にされて

わたしのまちのバス停にも写真が貼られた


やさしい人だったのに どうして無差別殺人をやるようになった

のか


それが

ことしの夏

未広町でばったりでくわした

「うまくいっていますか」

というと

「なあに 生きるのがせいいっぱいだな」

と首をすくめてわらった

五十歳はとっくにすぎているはず

「いまも やってるんですか」

ときくと

「むずかしくなってね」

とわらった


山中多市は本名だ

応用化学の出だ

えらのはったいかついからだつきで くちがよこびろい

「外国へは行かないのですか」

というわたしの肩をたたいて

「そうきらうな」

とむかしのかおになった


「これをやろう」

別れしなくれたのをひらいてみると

三八式歩兵銃の弾頭だった


「なんでこんなものを」

もしかすると あの人たちは まだ大戦をつづけている

そう思ったとき

終戦が

誰にもはかられずに下された 一方的なメッセージでしがなかっ

たことがきゅうにうかびあがってきた