最勝山・妙覚寺

sub7g32 2002年4月



県道を都甲川沿いに下り、高田の市街地にほど近い、右手の山側の旧
道沿いに位置する。道路に隣接するため、参道と言えるほどのものは
無い。
山門前には『不許葷酒入山門』とある。生臭いものは門をくぐるべか
らずらしい。
山門に向かって、右に大きな国東塔があり、左には一枚石に彫られた
六地蔵。門柱の吊り板には蓬莱 七福神 福禄寿霊場とある。
境内はやや荒れてはいるが、石造文化財が数多く置かれている。
本堂には、福禄寿と七福神がまつられているようだ。

■七福神の歴史/寺の講堂にあったものを転記
七福神ができ上がったのは大体室町時代であると言われている。
それは室町時代も終わり頃になれば、庶民が商業の繁盛を念願して信
仰の対象を求めていた。この時代、「仁王教」に説かれている「七難
即滅、七福即生」の言葉を基にして、それ以前に個別独立して信仰さ
れていた神々が七福にまとめられ、福の神として世間に現れたのであ
る。室町時代からの信仰も江戸時代になると、幅広く庶民に行きわた
り、中でも町家の人々は競って七福神を祀り、毎年正月には三三五五、
七福神のほこらを巡礼して、七福を祈願する風習があったようである。
また、正月元旦から、福の神の服装をした人が農家や商家の各戸をま
わり、七福神の祝い歌を声高らかに唄いながら、福徳の舞を舞って寿
ぐ風習もあった。
七福神の信仰は特定の宗教とならず、民間でおのずからして完成した
信仰であった。この特徴は素晴らしいものである。
民間人がつくった新しい宗教であり、いつまでも継承されることが望
ましい。