蓮華山・富貴寺    

sub7g28 2002年4月


自然に、あくまでも自然に、人が上るに最低限の石段が安養門へと
続く。安養門をくぐると、右手が宿坊。安養門に続いてさらに階段
を上ると大堂の擬宝珠が見え、階段を上るごとに大堂の全容が姿を
あらわす。境内には大きな榧と楓の木と山もみじが大堂を優しく守
るが如くに見える。
養老二(718)年に仁聞菩薩の開基、六郷満山山本寺末寺と
される。
また、大堂の形態から、平安末期にはすでに存在したと考えら
れる。大堂のつくりは、典型的な平安末期の浄土思想の影響が
見られる。大堂を中心に、観音堂、講堂、釈迦堂、院主坊、大
門坊、妙蔵坊、東坊、中坊、谷坊、南坊、清音寺、権現社等が
存在したが、その勢いが衰退し、院主坊(本堂)と大堂のみが
残る。権現社は神仏分離令により、寺から離れた。富貴寺は蕗
の地名から、江戸時代以前は蕗寺称していた。
大堂は、養老年中にカヤの木一本で仁聞菩薩が建立したと寺伝
されるが、約900年前の平安末期と想定されている。この地
方の豪族であった宇佐氏/宇佐八幡宮司が建立したと伝えられ
ている。