寺の解釈や役目が変化していくような気がする。
今日、檀那寺のご十夜法要なる仏事に参加してきた。
供養をお願いする先祖や故人の戒名を卒塔婆に書き、僧侶が教をとなえながら
卒塔婆に書かれた各家庭の先祖や戒名を読み供養する。
さて、この意味や目的をこれから世代が理解し、続けて行くだろうかと思う。
信心は、疑問を持たず、ひたすら仏の世界を信じて念仏を唱える事。
そして、寺の維持管理に必要な浄財をお布施する事。
信仰も信心も、すべてに疑問を持ち、本質を知ろうとする世代にバトンタッチ
して行く。
宗教や寺の位置づけはどう変化するべきなのだろうか。
もうすぐ70歳になろうとする私ですら、解釈に悩む部分を感じ始めている。 |
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