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公平/12月24日



メディアを使える人、使えない人、自分の考えをWEBなどのツールを

使って表現できる人、出来ない人。組織的な力を持っている人、持って

いない人。

それぞれの立場と力で、特定のテーマに対し発信する。

その問題の足下に立つ、いわゆる、その問題に一番近く、影響を最も被

る人達ほど、メディアの活用や、UEBなどのツールを使った発言が出

来ない。また、多くを語ろうとしもない。

例えば、ゴムリー像・・宗教行事、観光、景観、芸術、感情、等々を以

て、多くの人達が撤去や移動を提案して新聞紙面やWEB等々で、発信

している。・・私もそのひとり?

それで正しいのか? たぶん、どれが正しいのか?結論は無いだろう。

それぞれの個人の思いと目的で結論は変化する。

要は、一番の足下で暮らしている地域の人達の意見や考えを公平に反映

出来るか?・・と私は思う。

撤去や移転に対し、否定的な意見で背景を含め発言するなら、宗教行事

のルートとしては、ズーッと昔から使われていた道では無い。観光的に

言えば、より交通の便が良い場所に置くべきと言う意見があるが、それ

ではこんな不便な場所に誰も来なくなる。自然環境的に言えば、環境破

壊とも言えなくも無いが、たかが小さな像。

それよりも、より総合的に見て、大騒ぎ、いや、議論しなければならな

い理由は、真にどこにあると理解すべきなんだろうか?

私は、この像設置に、「感情的」に反対だった。そして、設置されて、そ

れを何度か現地で見て、どうでも良い物にしか見えなくなった。

自然の中に昨日まであった松の木が切られた。風光明媚な山のてっぺん

に携帯電話のアンテナが建った。それよりは、遙かに小さな問題に見え

た。

それから、地域の人達と立ち話をして聞こえて来たのは、「来てくれる

人が増えて良い事じゃ」とか、「撤去するなら、戦う」の言葉も聞いた。

さて、何が正しいのか? 多数決で決める事を民主的と言うが、すべて

これなら、過疎地に住む人の意見は無視されてしまう。

私自身の、結論が見いだせていない。 強いて言うなら、足下に住む人

達の意見を反映させるべきと思う。

開き直った言い方をすれば、遠く離れた所に住む私にとっては「どうでも

良い」事。・・・なんだろう。 とにかく「公平」と「地域」を十分に考

慮・配慮した結論としていただきたいと願う。