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当たり前/11月11日



「当たり前」という言葉には二通りの説があるようだ。

そのひとつは、「当然」の当て字である「当前」が、訓読されて「あたりまえ」

になったとする。

もうひとつは、「分配される」を意味する「分け前」や取り分を意味する「取

り前」などで、共同作業での一人当たりの取り分を「当たり前」とする説。


さて、昨日の仏前結婚式でのお話で、「当たり前」とは手前勝手な解釈で

「不足をもって当たり前の贅沢さを知る」と教わった。なるほど、今が

当たり前ではなく、過ぎたる贅沢であるかも知れない。