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鬱(うつ)/12月3日



真面目、責任感が強い、気負い感が強い、それから、それらの負荷に

耐えられない体力と気力の不足が複雑に絡み合って生じる病気。

文字に書けばそんな病気だが、文字からは見えない複雑な脳の働きが

ある。それは、現実の処理能力を認めたがらない脳の存在だろう。時

にはその原因の一つを、高すぎるプライドなんて表現をされるが、そ

んな簡単な言葉で表す事は出来ない深い感情であろう。一般的には、

そのギャップを自己責任とはしたがらず、他人を原因としたがる。そ

れによって、己自身への責めを回避するのだが、そのこともストレス

の一因となってしまう。悪循環極まりない所へどんどん転がり落ちて

いく病である。その結果、物事を主観的に捉える傾向が強くなり、個

性的な自己の物差しで物事を測り批判する傾向が強くなる。

原因は複雑だが、脳がデリケートすぎるのでは無かろうか。そのデリ

ケートな気持で揺れる自分を常に、支えてくれる誰かにもたれかかり

続けたいが、その対象となる相手が見つからない。一番は頼りになる

親や先輩が居ないことも原因では無かろうか。

快方への方法はあるのだろうか?楽しい事(気持ちい時間)が見つか

れば、脳はそちらの処理を優先させ、鬱の方向への思考を回避できる

可能性は高まる。暗い部分を忘れさせる程の楽しい時間を誰かが見つ

けて与えてやることが唯一の方法ではなかろうか。


冷静という言葉がある。「感情に左右されず落ち着いていること。」

とある。ポイントは、「感情に左右されず」だが、感情とは、「喜ん

だり悲しんだりする心の動き」あるいは、「気持ち」「気分」かなり

曖昧な事しか書かれていない。私なりに表現するなら、「心(脳)の

揺らぎない状態の事、心無き状態のこと」となる。冷静になれ。冷静

に物事を考えよ。これって生身の人間には実現不可能な状態である。

もしかしたら、悟りとは、この状態になれる事かもしれない。

冷は、つめたい。静は、しずか。冷たくて静かとは、無の世界の事。

よって、冷静に人の話を聞くとは、ただただ、耳の鼓膜を相手の声で

震わすことであろう。

ただし、一般的な解釈では、客観的に聞く事・・・これが出来れば鬱

なんて事にはならないで済むが、出来る人間は存在するだろうか?

この頃、つまらない事を考えてしまう。その上、段々頼れる人間を失

って行く。もしかしたら、自分自身が危ない状態ではと思い始める。

なんか楽しい話は無いだろうか。