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報道/3月20日



当事者でなければ、何でも言える。責任がないから何を言ってもそれを

大きく批判されたりはしない。

報道の倫理観はどうなっているのだろう?なんて思う場面をしばしば見

受ける。

私のホームページも、報道(言論)の一部と理解し、それなりに気遣い

ながら発信をしているつもりでいる。

報道の役割とか責任とかを考えるに、実に曖昧で難しい事に気づく。

事実を正しく伝える事が役割だろうが、何が事実か?本当に事実が事実

のまま伝わっているのだろうか?

報道する側も生身の人間である。個人個人が判断の物差しを持つ事から

感情も思惑も想像も期待も憶測も、それなりに事実に上乗せして発信し

てしまう。それを完全に排除し、真実のみを伝える方法は、画像のみの

放映だろう。

されど、画像のみでは、その様から真実が事実として読み取れるとは限

らない。もしも、誤ったとらえ方がされれば大きな混乱や暴動に繋がり

かねない。

報道とは、大変難しい仕事であり、難しい情報である。映し出される画

像と言葉に惑わされず、少しだけ時間を置いて冷静に自分の物差しをあ

てがって見てはどうだろうか。瞬間瞬間の映像も言動も、少しだけ時間

を置けば真実が見えてくる。

災害の現場では、そんな悠長な事を言ってられないだろうが、テレビや

新聞でそれを見ている、少しだけ距離のある私たちだけでも、冷静にな

るべきと考える。

日々刻々と伝えられる福島原子力発電所の様子だが、どこまで知れば良

いのか、知らないで良いのか、どこまでが事実で、どこからが憶測か?

何とも理解しがたい、納得しがたい報道と感じる。

されど、じっと見守るしかすべはない。放射能の飛んで来る心配のない

場所にいる私の考えである。