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春の大祭/3月8日



村の神社の祭典(大祭)が行われた。五穀豊穣や災害病気のない一年を神

に願う神事である。

神社の名前は、産霊社とよばれ、今日の大祭の神事は神主が執り行った。

ところが、山頂に祭られた社にのぼってみると、なんと、線香立てがあり

線香を焚いたあとがある。さらには、蝋燭までも置かれている。さて?

国東半島では、神も仏も分け隔てなく崇め頼り拝んできた。先日、岩戸寺

の修正鬼会をみてきた。そこでも神仏の境無い世界を目の当たりにした。

神仏習合という言葉があるが、神仏の隔てなくすべてを信じて縋って来た

国東半島の祖先の心だろう。神仏分離令によって、各地では寺や仏像が破

壊されたが、ここ国東半島では神仏分離令で破壊された寺も仏像も少ない

と聞く。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば

一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府

が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発した太政官布告「神仏

分離令」、明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大

教宣布」など神道国教・祭政一致の政策によって引き起こされた仏教施設

の破壊などを指す。

神仏分離令や大教宣布は決して仏教排斥を意図したものではなかったが、

結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こ

してしまった。神仏習合の廃止、神体に仏像の使用禁止、神社から仏教的

要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転

向、仏像・仏具の取り壊し、仏事の禁止、民間への神道強制などを急激に

実施したために大混乱となった。明治4年(1871年)ごろ嵐が収まっ

たが、長い間回復は困難であった。