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屁理屈/12月3日



爺の頭に糞を載せて“糞爺=クソジジイ)となる。もうすぐこの部

類に突入しようとしている私である。この表現は、一体何を表すの

か?

ジジイの頭にクソを付けて、これ以上の汚いジジイは無いと言いた

いのだろうか?

それより少し遠慮して、屁を付けた理屈が存在する。“屁理屈=ヘ

リクツ”である。この場合、実態はなく、言葉のみの表現。さて、

これが何を意味するかを考えてみた。理屈とは、“すじの通った考

え。道理。”とある。この頭に“屁=へ”を載せてみると筋道が臭

くなって、鼻を摘む。いやいや、鼻の前を手で扇ぐ事になる。その

様子を想像すると、ハハハとあざ笑いながら手を顔の前で左右に振

る様子となる。まさにあざ笑う様子そのものである。なるほど、屁

理屈とは、あざ笑う価値しかないって事だろう。されど、私は、そ

の屁理屈が物事の探求の始まりだと信じている。この頃、理屈をこ

ねる若者が少なくなった。勿論屁理屈も含めてである。屁理屈でも

並べている内に理屈へと進化するのでは無いだろうかと信じて、お

となしくなりすぎた若者に屁理屈を勧めている。