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デザイン/7月30日



私が子どもの頃、デザインは機能美そのものだった。

それが、いつの日かスキンデザインへ変化した。

いつから?

わが家へ発動機なるものが持ち込まれたのは昭和30年代の

後半だったと思う。

その発動機なるものは、鉄で出来た力瘤のようで、ピストン

が腕っ節の様なコンロッドでクランクシャフトに繋がって、

クランクシャフトは分厚い鉄の壁をぶち抜いて、その先には

大きな弾み車が取り付けられていた。

発動機の前方は、吸気と排気のバルブリターンバネがむき出

しで、発動機の回転に合わせてピョコピョコと小気味よく動

いていた。まるで心臓の弁の様だった。

なんの飾りも無いが、機能を司るそれぞれの部品がムダのな

い造形で発動機を形作り、なんとも力強く見えた。

今はどうだろう?その機能をスキンと称する外装で覆い、そ

の外装が格好を作っている。

機能には関係なく、全くデザイナーの物差しでつくり出され

た得体の知れないオブジェと化した。そんな風だから誰にで

も真似できる。個性なんか何処かへ吹っ飛んでしまった。

そろそろ、あの無骨で機能を主張する風貌に回帰して欲しい

と願うのは私だけだろうか?

中身は隠されて、スキンだけの紛い物のデザインに私たちは

そろそろ飽きてきた。本物思考のデザインで作られたものが

欲しい。

携帯電話もスキンデザイン競争に突入したそうだが、顧客は

すぐに飽きるだろう。・・・って、私が思うだけかも?