sub1952

文字で話す/2004年6月6日



再び文字で話す難しさ・・を考えてみました。


相手が目の前にいて言葉を使って話をする。

意図する事が伝わったかどうか、誤解はないかを相手の目や顔色や

態度や空気感をも感じ取りながら探る。

その上、手振り身振りから声のトーンやため息までも使って気持ち

を伝えようと工夫する。相手の顔がすぐ前にある会話でさえこれだ

けのエネルギーを使っている。

それでも、思い違いや行き違いや誤解がおきる。

なのに、文字のみで情報を交換するチャットや掲示板の書き込み等

々・・多くが大した気遣い無く気軽に行われる。

読み手のそのときの感情で解釈が大きく異なると私は思う。

そんな訳だから読み手の心の中には多かれ少なかれ感情のいらだち

が起きない筈がない。・・と、私は思う。



私もホームページを持って、そのホームページをつかって文字で気

持ちや考えを公開している。

言いたい放題と考えればいいのだが、読んでいただく相手がその向

こうにいる事を強く意識している。・・自分ではそう思っている。

自分の書いた文字がどう読まれるか、どう受け止めらるか?

それを想像しながら貧弱な気遣いをする。

それでも時折お叱りを受ける。

冷静に受け止めて読み返すと、なるほど曖昧な表現が鬼の顔にも福

の顔にも見える事に気づく。


文字は難しい。貧弱な語彙数と貧弱な国語力・・これで完璧なんて

思い上がって書くものだから救いがたい。・・いや、まだ完璧と思

う気持ちあればいい。何の気遣いもなく書く。・・こいつが怖い。


かく言う自分・・なるべくそのようなことが無い様にとは気を使っ

てはいるのだが、知識と能力が伴わず思いの半分も文字に変えら

れない。



不完全なコミニュケーションの手段である文字・・・安易に使いす

ぎてはいないだろうか。

さらに、その不完全さを皆が知って、過激な解釈にならないように

する事も読む側に必要だと思うのです。



事件や事故・・・私たちはどちらが悪いと決めたがる。

その上、そこに至った原因の詳細までも明らかにしたがる。

物理的な現象に関してはこれでいいかも知れないが、言葉に関して

は真実が何なのか書いた方も読んだ方も”絶対”が無い・・無いと

思う。



文字は不完全なコミニュケーションツール。

これを理解して、不完全なものに完全を求めて争うことは愚かな事

では無いだろうか。

されど、この不完全な文字で殆どのものが決めつけられて行くのも

事実。

難しい世の中を泳ぎ続ける知恵が欲しい・・

皆争うことなく正しいコミニュケーションが行える術が欲しいと思

う。

ちょっとした誤解で大きな争いが起きない知恵が欲しいと思う。

戦争は、そのちょっとした誤解で始まる大きな間違い。

すごく便利な道具だが、すごく危険な道具でもあると思う・・・・

私はそう思うのです。・・・どうですか、自分の書いた文字を違っ

た感情を持った他人で読んで見ませんか。

少しだけ相手に優しくなるかも知れませんよ。・・私の提案です。