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カンとコツ/2003年6月23日 |
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目分量というのがある。 たとえば、寿司職人が握るシャリの大きさは常に一定で米の粒まで おおよそ同じ数。 銀行員が札束一握りで百万円をぴたりと決める。 職人が指で撫でただけで数ミクロンの違いを感じ取る。 医者の見立てにジャーナリストの感・・・・ これらは彼らの経験と鍛錬が作り出した体内物差しが常に出来映え を評価している結果だと思う。体内に物差しを作るには多くの時間 が必要だ。この物差しが日本人のもの作りや医学や多くの文化を支 えてきたのだが、スピードを要求される現在では、それを待ちきれ なくて機械やコンピューターに置き換えていった。 その結果が日本特有のものづくりや文化を失うことになったと思う。 それで良いのか?・・瞬間的にはいいと思う。 しかし、便利な機械やコンピュータに勝って、より高度な仕事をす るには体内に物差しを作らなければ成しえないと思う。 体内の物差しをカンとコツと言ってあざ笑ってはいけない。 研ぎ澄まされた感性が作り出す人間の業の結晶がカンとコツと称さ れる体内物差しなのだ。・・日本を救うのはきめ細やかな体内の物 差しではないかと私は思う。・・カンとコツを取り戻そう・・ 経営も例外ではない・・と思う・・ 今いち感ピューターが冴えない私だが・・ |