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記憶/2002年7月16日




国東半島は台風の通り道だった。

私の子供の頃は台風が来る事が当たり前で、年に数回は楽し

めた。

台風は大きな被害をもたらし、一瞬にしてすべてを飲み込ん

でしまう。こんな恐ろしい台風も子供だった私には楽しい思

い出として記憶されている。


1961年10月

黒い長靴に紺色の傘をさして小学校へ向かう。風がやや強く、

雨も「少しばかり多いかな」くらいだった。1時間目の終わ

る頃、風も雨足もどんどん強まり、先生は私たちに台風が来

ている事を伝え、気を付けて帰るよう話をした。それぞれの

方向へ先生が付き添い、私たちは一列に並んで学校を出た。

いつもと違う情況になぜか気持ちが高ぶり、わくわくとした

ものを感じた。

学校と我が家のちょうど真ん中あたりの舟道と呼ばれる地域

の細い道を歩いていると、父が迎えに来ているところに出会

った。先生は父に私たちを引継ぎ、私たちは父の後に続いた。

風はどんどん強くなり、雨もどんどん激しくなる。道には雨

が流れ、長靴が船のように水をきる。

急かす父の後をなぜかうきうきしながら歩いたのは私だけだ

ったのだろうか。

家に帰るとびしょびしょの服を着替えてじっと外の世界を眺

めていた。祖父は牛小屋の扉を金槌で打ち付け、さらに、大

きな石で扉を押さえる作業をしている。父は作物が風の被害

を少しでも受けないように竹や縄を持って駆け回る。

私は母屋と納屋の間に屋根をのせた”せど”と呼ばれるとこ

ろの格子戸の内側から外の様子を眺めていた。

やがて風雨はとてつもなく強くなり、かやぶき屋根のてっぺ

んをはがすのが見える。我が家の横を流れる川もあふれて、

道の高さを超えた。もはやどこがどこかわからないほどの情

況になって行く。その内水は我が家のせどに流れ込み、床下

へと攻め込んで来た。外は大洪水となり、稲わらを積み上げ

て作った”小積み”が浮かんでいる。水は小さな村の景色を

一瞬にして変えた。雨の音が響き渡る薄暗い家の中でろうそ

くの炎ががゆれる。自然の魔物に取り囲まれた恐ろし空間に

置かれている状況のなかで、なんだか冒険に出かける時のよ

うにわくわくとした気持ちを感じた。

朝が来て外に出ると雨はやんでいた。見上げた空には真っ黒

な雲の中心にぽっかりと穴があいて青空が見えている不思議

な空があった。

徐々に記憶の量が減少してゆく。この記憶がどこまで正しい

かはわからないが、台風の思い出は、「わくわくとした気持

ちの高ぶり」だった。