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腰の痛みと・・/2001年5月2日



私の住む地域は高台にあり、水田を潤す川が無い。それでも

先人は水田をつくり、谷間に堰を築き溜め池とし、水路を堀

り、水稲の栽培をしてきた。きっと血のにじむ思いだったろ

う。

今日は、溜め池から水田までの水路や、山林に降った雨水を

集める集水路の手入れを地域の人々総出で行った。水路は冬

の落ち葉が堆積し、さらには草が覆い、また、崩れ落ちた土

砂が塞いでいる。汗と泥にまみれながら、腰の痛みと、腕の

だるさと、先人の偉大さを感じた。

私が国東半島へ戻って来た当時からこの行事に参加している。

今回で20回を数えた。参加して来た人々は20年の年を重

ね、大半が70歳を越える。おそらく80歳台も数人いる。

この間に、年老い、病気で入院し、共同行事からリタイアし

た人も、・・

一年に数度しか会う機会の無い人々と同じ目的の共同作業を

通じて地域の和を繋いで行く。

この行事も現代風に割り切り、参加を金で済ます若い世代も

ちらほら出始めてきた。あと何年この共同行事が続けれるの

だろうか。この行事が途絶えた時にはこの村の水稲栽培も途

絶える。水稲栽培の生命線と同じに、この村の存続をつなぐ

条件が徐々に切れて行くのを見続けながら、何も手だてを講

じられない。しかしながら、見方を変えれば、都市部周辺の

自然破壊を補うための自然回帰かもしれない。