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修理と資源/7月23日



 そのものに与えられた機能を無くしたときに寿命が来たと言う。

しかしながら、少しばかりの修理で再び機能を回復する場合が多々

ある。また、日常の取り扱いや保守によって寿命を大きくのばす事

が可能となる。わかっていても、今の社会はこの仕組みや技量の問

題で修理がだんだん難しくなって来ている。部品単位の修理を前提

にした部品の供給やサービスの体制が作られていない。軽薄短小や

ハイテクの副産物として、修理不能が当たり前になって来ている。

せいぜい不具合部の交換が関の山である。こんな事があった。

・・私の車のシガレットライターが作動しなくなった。このシガレ

ットライターは、プラスチックの化粧板と全てを支える金属板のス

テーと照明用のランプと配線とコネクターと加熱したライター部を

押し出すバイメタルとバネから出来ている。たぶん、バイメタルと

バネの関係に不都合が生じたものと推測する。私は、当然この部分

を分解交換、あるいは調整すると考えて修理を御願いした。結果、

ユニット一式で交換され、不具合ユニットは私に戻された。なぜこ

うなったのか?先ずは修理コストが考えられる。原因を詳細に分析

して真因を見つけだす時間は、個人や、その状況によって大きく変

動する。また、製造者責任等の問題もあり、修理した部分の品質保

証も従来の様には行かないだろう。こんな理由でユニット交換があ

たり前になったのであろうか。人命に関わるところは止む得ない。

そうでないところは資源を節約したい。そうするためには自分でや

るしか無さそうである。

ハイテク機器を筆頭に工業製品の修理に於ける資源の節約には金の

出費を強いられる。自分で出来ることを自分でやれば資源も金も節

約できる。プリウス等の省エネ車開発が時代の要求として最優先さ

れている。これも重要だが、より少ないエネルギーで寿命を延ばし、

修繕する方法も同じように考えて欲しいと思うのです。でも、これ

って企業の利益に逆行する要求です。それでもやらなきゃならない

時代が来ていると思うんですが。・・