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自動車運転と思いやり/7月13日



自動車は鎧である。鎧は凶器にも成り得る。たいていの人は、

この強力な鎧を身につけた途端に気持ちが大きくなり、強くな

ったと錯覚する。だれよりも運転がうまくなったと錯覚する。

歩行者に対する思いやりを忘れ、更には遅い車を煽る。少しで

ももたついているとクラクションを鳴らし、もたもたすんなと

吐き捨てる。性能の高い、そして高価な車ほど人の気持ちを惑

わす危険性が高い。しかしながら、鎧は実力では無い。鎧を脱

いだときには素の個人でしか無い。車をはなれて歩行者となっ

たとき、運転が車の性格をつくる事が見えてくる。歩いている

自分の横を猛烈な速さで通り過ぎる。道路の向こう側へ渡りた

くても止まってくれない。そんな車は凶器にしか見えない。人

を傷つけ、人の命を奪ったとき、実は鎧ではなく凶器で有った

ことを思い知る。人間は手前勝手な動物である。

『だろう』が優先し、『もしかしたら』が後回しになる。人に

迷惑にならない運転で、住み良い、安全な交通社会を築きまし

ょうよ。自分の運転が、行為が、もしかしたら人の迷惑になっ

ているのではと考え、少しでも周りを、相手を思いやるドライ

バーになろう。

自動車が怖い凶器と見られることのない交通社会をみんなで考

えよう。