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⑯椿八幡社国東市武蔵町三井寺656
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祭 神(神殿に向かって左より)(説明書き転記)
一之神殿 |
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八幡大神 御名 誉田別命 応神天皇 |
二之神殿 |
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比売大神 御名 多枝津姫命 市杵嶋姫命 多紀理姫命 |
三之神殿 |
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神功皇后 御名 息長帯姫命 |
由 緒
椿八幡神社は、宇佐神宮の分祠で、天平神護元年(七六五)十月八日神託によって御在所山に鎮座した。凡そ二百六十年間に数度の野火に遭い治安三年(一〇二三)の火災を機に、現在地に社殿を造営し、御神体を安置した。
爾来宇佐神宮の末社への行幸会が、六年に一度執行されたが、元和二年(1616)頃途絶えた。
当時の郷社椿八幡の氏子は小原、上小原、黒津、次郎丸、綱井、重藤両子、諸田、新、中村、小俣、富永、恒清、久末、油留木、吉松、七郎、一之瀬、武蔵町分(十五村)は記載省略、の三十三村であったが、江戸前期にには二十五村となり、末期には十八村となって現在に至っている。
鎌倉以降領主は崇敬があつく、特に今市城主の武蔵田原氏は社殿の造営に意をそそいだ。
江戸時代の松平氏は、藩主自ら施主となり、豪商・豪農・庄屋の寄進により造営・修復工事を施工し、庶民は労働奉仕をした。
昭和十三年(一九三八)八月二十七日県社に昇格された。
御神木樟は、治安三年現在地に遷座の際の記念植樹であると伝えられている。 |
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御神木の楠と神門 |
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御祭日 |
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神門(傷みが激しい) |
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拝殿 |
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二之神殿 |
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石灯籠 |
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三之神殿(朽ちる寸前) |
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