usa8-5l.html    第5回「八幡文化を訪ねる旅」 
               国東西・姫島の旅
202年8月22日
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⑭桜八幡神社国東市国東町鶴川213

桜八幡社 説明立て看板転記

保元二年(一一五七)、宇佐神宮の御分霊を祀り、国東郷の中心的「社」として栄えてきました。
当社は、中世の飯塚城主である田原氏(国東)をはじめとして杵築藩主の細川、小笠原、松平氏等の庇護を受け、大正末、県社に列せられました。社叢(しゃそう:神社の森)は、天然記念物であるスダシイが群生しています。


県記念物(天然記念物)

桜八幡神社社叢
社殿の東西及び北向きの傾斜地にの林には、ツブラジイやスダシイが群生しています。他にホルトの木やモチ、ヒメユズリハ等の高木や、アオキ、イズセンリョウ等の低木、林床にはホソバカナワラビ、ツルコウジ等がみられ、瀬戸内海西端部の面影を残しています。
          (昭和十七年八月二十日指定)  



町有形文化財

桜八幡神社神門
四脚門、瓦葺・左右切妻造り、格天井、二重垂木になっています。神門の中は二室に区切られ、北面に木像神馬一頭ずつ、南面に随神二神(閽神:くらのかみ・看督長:かどのおさ)が安置されています。
       (昭和三十八年八月二十七日指定)


古神像(こしんぞう)
桜八幡神社の神像で、木像僧形八幡坐像と木像女神坐像二躰(神功皇后・比咩大神)が安置されています。平安時代の作と伝えられています。
       (昭和四十六年三月三十一日指定)


                国東町教育委員会


   国東の守護神、旧県社・国東郷の総社(神門左側に貼ってあった参拝案内の転記)

桜八幡社参拝のご案内   鎮座地 大分県東国東郡国東町大字鶴川213番地 THE 0978-72-2783


由緒
養老3年(西暦720年)、大隅日向の隼人が反乱を起こした時、宇佐八幡の辛島勝波豆米が宇佐八幡大神を奉載し、神軍を率いて国崎(国東)の浦より出軍した。この時、桜吹谷(現在の川原区)に桜本宮社を建立して宇佐宮のご分霊を勧請して武運を祈願した


天暦年間(947~957)神霊の示現により、当地に遷座した。天徳3年(960)空也上人が諸国行脚にあたりこの地に来て、興導寺を創建して、当神社の神宮寺とした。

保元2年(1157)神霊の示現により再興され、これより数えて八百年となった昭和33年3月に八百年式年大祭を奉斎した。


社の森
当社の森林は、県より天然記念物として指定されている。スダシイの群集、林床のシダまでよくそろって自然の状態で市街地の中央近く残り、古代人居住地帯の原始状態研究の資料として貴重である。


御祭神
 本社 神殿に向かって
 中央の神座に八幡大神「誉田別尊(応神天皇)」
 左の神座に比売大神「三女神(多紀理比売命、市杵嶋比売命、多岐津比売命)」
 右の神座に神功皇后(息長帯比売命)を祀る。


境内社
若宮社=応神天皇の若宮(御子神、仁徳天皇)と2皇子、1皇女を祀る。御霊(恐霊)をやわらげる災除の神

住吉社=神功皇后に数々の神威を現した住吉3神(底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命)を祀る。航海
漁業・農耕の守護神。

多賀社=伊邪那岐神、伊邪那美神を祀る。多くの神々を生み成した夫婦神。夫婦和合の神、寿命の守護神

東宮社=応神天皇の御子、仁徳天皇を祀る。

山王権現=本社は大津市の日吉(枝)神社、大物主神(おおものぬしのかみ)・大己貴大神(おおなむちのおかみ)、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る。都の鎮護、天台宗の守護神。

天神社=菅原道真公(すがわらみちざね)を祀る。平安時代の学者、政治家、学問・書道・受験・避雷・厄祓・農耕の神。

白髭社(善神王社)=武内宿祢を祀る。応神天皇を育てあげた神で三百歳まで生きて耳もよく聞こえたという。子育て・長寿・奉仕の御神徳をさずける神。耳の神。

押人社=御師人(神に仕える人)、豪族、宇麻志麻治宿称(うましまじのすくね)を祀る。この丘は古墳、。

稲荷社=倉稲魂神(うかのみたまのかみ 宇迦之御魂神・豊受媛命)を祀る。稲の神、五穀豊穣の神、商業神、殖産神。稲荷大明神と尊称される。


その他
 鳥居=綾部絅斉(あやべけいさい)、三浦梅園(みうらばいえん)、山下幽林、小川含章らによる碑文がある。

 神門=右大臣、左大臣の木像がある。
 龍神様=豊玉姫(とよたまひめ)と竜が顔をあわせる大手洗鉢、雨乞いの時は水をかけて祈る。
 忠魂碑=国東地区の戦没者の霊を祀る。

神門 拝殿

拝殿

賽銭箱

本殿

東宮

山王権現

末社の一つ