usa8-3b.html    第3回「八幡文化を訪ねる旅」 宇佐神宮大祓
             と摂末社の旅
202年6月30日
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化粧井戸

今回の摂社末社から外れるが、百体神社から勅使道を鷹居社の方向(西方)へ3百メートル程歩くと左手に「化粧井戸」があります。(駐車スペース有り)

「勅使道案内板」転記 「百体社と化粧井戸」
隼人の霊をなぐさめるため、宇佐宮では放生会が始められ、百体社にその霊が祭られました。西方三百メートルのところに化粧井戸があります。この水で放生会に参加する古表社(福岡県吉富町)と古要社(中津市)の傀儡子(人形)を洗ったと伝えられています。

化粧井戸の説明書き転記
化粧井戸
此の井戸は聖武天皇の神亀元年(724年)「隼人の慰霊の為に放生会を奉仕する」との神話によりて始められた放生会の儀式に奉仕する。福岡県吉富町鎮座の古表神社及び中津市伊藤田鎮座の古要神社の御神体であるくぐつ人形の化粧をする為の井戸である。ちなみに此の両神社のくぐつは隼人征伐に参加し隼人等は此のくぐつにみとれている間に伐たれたと伝えられている。

凶首塚古墳(きょうしゅづか)

勅使道と隼人にまつわる文化財の説明書きを転記
養老四年(720)に朝廷が大隅・日向の隼人を討伐した際、宇佐八幡の神軍も参加し、隼人の頭(首)を持ち帰って、この塚に葬ったと伝えられています。しかし、この古墳は六世紀末頃の横穴式石室で、伝説の時代とはずれています。


場所は、勅使道を化粧井戸から宇佐神宮に向かって2百メートル程の左。田んぼの土手道を少しのぼると見える。訪れた今日は、道も古墳も夏の草に覆われていた。

勅使道

説明書き転記
この平松付近は、かつて松隈と呼ばれ、宇佐宮中(小盆地)の玄関口でした。一直線にのびる道路の東方には、朱塗りの呉橋や宇佐神宮の森が望まれます。

<勅使道>
古代より、宇佐宮には天皇即位や国家異変などに際し、天皇の意志を伝える勅使が派遣されました。宮道を進んだ勅使は、駅館川沿いの宇佐駅から宇佐宮へと参向したため、この道は勅使道と呼ばれました。江戸時代、宇佐宮の神官は松隈で勅使を出迎えました。