←top kodomo-onie-b 丸小野子供修正鬼会
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2010/02/14

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鬼の面は6つある。それぞれ個性豊かな、愛嬌のある親しみやすさを感じる面である。身近にある松や杉の木で作られており、木の個性をうまく利用して鬼の面にしたてたものと感じる。

今年この鬼の面をつけて鬼に扮する子供は5人。昔は、子供が多く、長男しかこの面を被って鬼にはなれなかったそうだが、過疎化と少子化で、今年は仲西と柿園には鬼になる男の子が2人しか無く、近くの集落から鬼の応援をいただいたとお聞きした。

仏の化身とされる鬼に扮するのは、長広徹也君9歳、麻生怜生君9歳、麻生由宇君7歳、都留悠太君12歳、古城和樹君12歳。

どの面が誰に担がれるのか?鬼面は、儀式の最初から担いでいたが、面が重く、子供も小さく負担になる事から、儀式の後半に担ぐ様になったと云聞いた。


丸小野子供修正鬼会とは、子供達が鬼に扮して行う伝統行事で、国東市の無形民俗文化財として保存継承されている。

平成20年から2月の第2日曜日に開催される様になった。

この子供鬼会の行事の由来は、丸小野地区が大飢饉にあった時、柿園地区や仲西地区に子供の間に伝染病が流行し、多くの子供がその犠牲になった。
同地区では、子孫が絶えてしまう事を危惧した。そこで、丸小野寺で無病息災祈願として執り行っていた修正鬼会を真似て、子供達の無病息災、火防、五穀豊穣を祈願して子供鬼会を始めたとされる。

子供鬼会の起源は、江戸時代末期の天保年間に始まったと伝えられ、第二次世界大戦のおりに一時途絶えたが、その後再び、子供達の無病息災、火防、五穀豊穣を祈願して再開されるようになり、地域の人達の深い信仰心で今に続いている。

「修正子供鬼会火防五穀成就祈攸」と書かれた紙を餅に巻き、オニヤッシャの葉で一つずつ丁寧に結んである。
この餅は、儀式の途中で見物者に配られる。無病息災、五穀豊穣、火防のお払いをしたものであり、これをいただいて御利益を得る。

これ以外に白と黒の丸餅(鬼の目)と草履型の餅を作り、儀式の途中で見物者にまかれる。これを拾うと縁起がよいと云われている。鬼の目は、岩戸寺や成仏寺の修正鬼会でも撒かれる縁起の餅である。また、草履型の餅は、岩倉社のケベス祭りの神事にも同じような形のオクツガタと呼ばれる餅が作られて供えられる。おそらくその起源は同じところにある様に思われるが、起源理由はわからない。

香水棒
鬼が儀式で舞うときに用いる。
長さ1m程のウシボウズキの木(イヌビワ)に8箇所に削りを入れて削り花びらの様にした棒。子供修正鬼会の終盤に行われる香水の儀式で、この棒を両手で持ち、お互いがリズミカルに打ち鳴らしながら踊る。

私が到着した時には、すでに完成していた。

イヌビワをこの地域ではウシボウズキの木と呼ぶが、国東半島全域でよく見かける落葉の小高木で雌雄異株の桑科イチジク属。

岩戸寺の修正鬼会で用いられる香水棒は樫の木で、削り花びらは4箇所である。

大松明
長さ4m、直径の太いところは50cm程。重さは5人で持ち上げる程だから50kgから70kg程度だろう。
真竹の古竹と青竹を混ぜて大カズラで12箇所を縛る(閏年は13本で縛る)。

2箇所縛るごとにカズラが張る様竹を押し込んで行き、これを6回繰り返して先を大きくしていく。

メンチク(女竹)と呼ばれる竹の古竹を束にした走り松明を作る。長さは1m程で、この松明は、鬼やタイレが手にして大松明に火をつけたり、三三九度や災払の行事に用いる。

松明の作業場は、稲荷社した100m程のところで行われる。
作られた大松明は、青竹を組んだ大松明台に立て掛けられて出番を待つ。

武蔵川左岸にある稲荷権現社が子供鬼会の舞台となる。

子供修正鬼会と稲荷権現社の関係は、稲荷権現社が安置されている大岩は、丸小野寺講堂の薬師如来に見立てられ、大岩より講堂を拝した形で鬼会を執り行っていた。

稲荷社を大岩の上に勧請したため、鬼会を行った場所を稲荷権現社と呼ぶ様になった。

稲荷社の祭りは旧正月14日に行われていたが、平成19年から高齢化による人手不足から取りやめとなっている。