2009年8月29日 仏跡(宇土大師堂・不動明王他) kunisaki-y-a001
国東市 赤松


町指定文化財

仏跡(ぶっせき)
(昭和四六年三月三十一日指定)

 弘法大師堂を中心にした、宇土(うど)の山間のこの史跡は「弘法八十八霊所」といわれています。
 大師堂の境内地には、総高1.4メートルの龕(がん)を背景に、彫出しの石像不動明王立像をはじめ、納経されたと思われる石造の「経墓」が、建立されています。
また宇土の山は、霊場巡りにふさわしく、石造観音像や針の耳とおし(善人のみ通り抜けることができる)、護摩焚き石などが配置され、庶民信仰が根強く浸透していたことがうかがえます。

仏跡周辺の文化財

  (1)宇土の弘法大師
  (2)宇土の不動明王立像
  (3)観音像
  (4)薬研彫りの経文(南無阿弥陀仏)
  (5)鐘の鎖
  (6)針の耳とおし(巨石積み)
  (7)護摩焚き石
  (8)箸蔵さま
  (9)鬼の背割り石
  (10)鰯 舟
                             国東町教育委員会

R213号線、鶴川の交差点から国東半島の中心へ向かう。途中、国指定史跡安国寺集落遺跡 (史跡公園)国東市歴史体験学習館を通って、日本一大きな石造仁王像のある神社を右手に通過し、さらに700m程の突き当たりを左折して、赤松川沿いを上る。2km程で利生禅寺へ到着する。更に、2.5kmほど走ると、集落をが途切れる。注意深く左手の谷を見ながら走ると左に下るコンクリート舗装の小道がある。道路脇に車を停めて、この小道を歩く事200m程で宇土の仏跡がある。

何度もこの道は通ったが、つい最近まで「仏跡」の事は知らなかった。K-plan氏のホームページと国東ケーブルテレビの「小規模集落応援隊」でこの文化財の所在を知った。

早速訪れてみた。赤松集落在住の知人に道案内をお願いしようと思い訪ねたが不在。おおよその目処があったので一人で上ってみた。利生禅寺前から約2kmほどで京一集落を抜ける。更に500m程で、左手の谷方向にコンクリート舗装された小道が森の中へと続いている。道の脇に車を停めてその道を降りていく。コンクリートの道を下りきって、少し歩くと、苔生した自然石の石段が現れる。大きな杉の木の間を上に続く石段を上ると正面に弘法大師堂があり、右手に「経墓」、左手に不動明王があった。

弘法大師堂は荒れて、床板は腐れ落ちている。薄暗い堂の奥に彩色された弘法大師像が寂しそうに座っていた。弘法大師像の前には、小さな鰐口が倒れている。燭台もあるが、この頃おまいりされた様子はない。信仰も途絶えようとしているのだろうか。

境内左手には、立派な半肉彫りの不動明王立像がある。倒れはしまいかと心配になる程左に大きく傾いている。像は、この山の石を彫ったと思われる。決して造形的な凄さはないが、暖かみを感じる村人の信仰にふさわしい姿である。不動明王の前には、6体の観音像と一体の弘法大師座像が無造作に置かれている。不動明王石造の傾きの原因は、側に植えられた杉の生長による根張りによるもののようだ。

大師堂裏の宇土の「弘法八十八霊所」と言われる聖域に足を踏み入れる。落ち葉の堆積した急な坂道を上り始めると、巨石の祠に観音像が置かれている。台座石には、番号が刻まれている。さて、八十八あるのか、三十三なのか、その番号を確認しながら上ったが、観音像は、確認出来た一番上の台座石の番号は二十七だった。また、弘法大師像は六十八と六十九の二体を確認出来た。頂上と思われる所まで蜘蛛の巣をかき分けながら上ってみたが、何も発見できなかった。

途中までは、地域の有志と「小規模集落応援隊」の皆さんのおかげで、道をふさぐ木々が切られて登りやすくなっている。また、急な部分にはロープが張られている。

下から見るには、普通の小山にしか見えないのだが、登ってみると山腹や山頂に巨石が多く見られ、斜面の勾配も思いの外急である。この険しい地形が、山岳信仰の聖地となって、地域の人々の信仰の場となっていたのであろう。空海・弘法大師(真言宗の開祖)と不動明王(大日如来の化身)、観音像がこの宇土の聖域に祀られている。以前は、信仰深い人々が燭台の火を絶やす事無くお参りをしていただろうが、今は悲しいかな忘れ去られようとしている。村おこしの一環で整備の話はあると聞くが、是非とも国東半島の貴重な文化財として守り続けて欲しいと願う。



コンクリートで舗装された参道へ続く道 苔生した石段の上に大師堂が見える

経墓 大師堂の弘法大師座像

不動明王像と6体の観音像と1体の弘法大師像 自然石の祠に祀られた観音像



右端の弘法大師像は、六十九バンとある。これが「弘法八十八霊所」の一つか?この座像の右手をよく見ると、何か腑に落ちない。上の方に「六十五バン」と刻まれた弘法大師像がもう一つ確認できたが、これも同じ造形の右手の形をしています。

この手の形について調べてみました。弘法大師の坐像は、右手に五鈷杵または三鈷杵、左手に数珠を持っています。右手の五鈷杵(または三鈷杵)を持つ手首が不自然にねじれています。これは、「金剛薩埵の威儀」と言われる、密教独特の印(手の形)だそうです。この「金剛薩埵」は仏の名前で、その仏像も弘法大師と同じ持ち方をしているそうです。そのほか、密教の明王である、愛染明王や金剛夜叉明王も同じ持ち方をしているそうです。
私がこの右手手を見たとき、仏師の間違いと思いましたが、気になって調べてみたら、前述のような事実を確認できました。
頭上5m程の東向きの大岩の縦面に「南無阿弥陀佛」の文字が見える。説明書きには薬研彫りとあるが、平彫りが正しい。ちなみに、薬研彫りとは、薬研の様なV字型の彫り込みを示す。
そこへ登るためか、鉄の鎖が下がっている。錆びており、それを伝って登る気にはなれない。案内板に書かれていた「鐘の鎖」とは、この鎖を指すのか?鐘の文字からすると別のものか?

今回は、仏跡周辺の文化財として紹介されているものの内(5)~(10)が確認出来なかった。もう少し気候が良くなったら、利生禅寺の和尚さんに詳細をお尋ねして探索しよう。