2009年3月28日(土曜日)曇り ・・ 国見町 旧千燈寺址から五辻不動を歩く
sendouji-1j

千燈石仏

ここで終わりではない。この近くにある千灯石仏も是非見ておこうと、そのまま歩く。車を停めてあるところから100m程のところに「千灯石仏」の標識が立っている。ここから50mも歩けば小さな御堂があって、その御堂の中に千灯石仏といわれる阿弥陀来迎石仏が置かれている。

阿弥陀来迎石仏とは、「阿弥陀二十五菩薩来迎図石仏」の事で、高さ約1m、幅約2m、厚さ約50cmの板状の石面に来迎図が薄肉に浮き彫りされているものである。
詳細にレリーフを観察すれば、石板の右下方に屋形があって、中に念仏行者が合掌しているのがわかる。(右画像)

この念仏行者に全ての菩薩が体・顔を向けている。
中央には、阿弥陀如来の下生印座像(仏様のつくる手の形で、下生(げしょう)とは、右手が胸、左手ひざ。親指と薬指で輪を造る形。)があり、これを取りまく二十五菩薩(観世音菩薩・薬王菩薩・大勢至菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・陀羅尼菩薩・法自在王菩薩・白象王菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・光明王菩薩・山海恵菩薩・金剛蔵菩薩・華厳菩薩・日照王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・三昧菩薩・獅子吼菩薩・大威徳菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・無辺身菩薩)、前面に蓮花を捧げ持った観音菩薩と合掌し新生を讃歌する勢至菩薩、左には奏楽や舞踏、合掌の菩薩群が来迎(らいごう、浄土宗ではらいこう。仏教中の浄土教において、紫雲に乗った阿弥陀如来が、臨終に際した往生者を極楽浄土に迎える為に、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従え、諸菩薩や天人を引き連れてやってくること。また、その様子を描いた図様を来迎図(らいごうず)という。)している。

左上に不動明王、右に多聞天がこれら菩薩を守護するように配置されている。


                念仏行者

やや荒れかけた御堂と御堂の建つ環境に散乱する古タイヤやゴミが気になる。この価値ある文化遺産を末永く残したいと強く思う。また、「阿弥陀二十五菩薩来迎図石仏」のもう少し詳しい説明書きも欲しい。

脇に立てられている説明書きには、以下のようにある。

(県指定)千灯石仏(史跡昭三二、三、二六)
自然石の前面を削り半肉掘りした。高さ一米巾二米の石仏「廿五菩薩来迎図」である。
正面に阿弥陀仏、右下に念仏行者往生を厨子中に、その前に観世音菩薩が蓮花を捧げ持ち、勢至菩薩は両掌を合せ新生人を賛歌し他の阿弥随侍菩薩聖衆は紫雲の湧き立つ中に種々の楽器を奏で満面微笑して歌し にぎにぎしく来迎する様を彫刻している。
鎌倉時代の作で美術的価値の高いものである。
国見町教育委員会 (昭和五十三年三月三十一日)

此の御堂の裏手になかなか良い表情の石仏が二体置かれている。何も説明書きはないが、なかなか愛嬌のある、ほのぼのとした表情の石仏である。

ただ今14時少し過ぎところ。さて、今日の全行程を消化した。万歩計は1万6千程になっていた。

参考文献、著書ほか 〔国東古寺巡礼 渡辺克巳氏〕、〔国東半島の歴史と民族 梅原治夫氏〕
〔大分の石造仁王 渋谷忠章氏〕〔豊鐘善鳴録 河野彦契氏〕


国見町の文化財に戻る。

Top←