2009年9月14日  岩屋堂と板碑  akimachi-y-01
安岐町掛樋


安岐川がV字型に大きく蛇行している辺りが安岐町掛樋地区。以前は、この蛇行した川沿いを生活道路があったが、今は、その川に橋が架けられて、広い道路がつけられている。

旧道のV字の頂点近くに素堀のトンネルがあり、そのトンネルの上に、岩谷堂と岩谷堂板碑など、多くの石造文化財がある事を聞いた。

安岐−豊後高田線とトンネルに通じる道路が交わる辺りに車を停めて歩く。

少し乾き始めた風が気持ちいい。蝉の声も忙しないミンミンゼミに代わってツクツクボウシが聞こえている。

ゆっくりとトンネルを抜けて、川の流れがえぐった渓谷美を楽しむ。


大きな岩壁に半分潜り込むようにつくられた岩屋堂

上り来る道筋の縦壁面に仏様を祀っていた様なくぼみが残されていた。岩谷堂をガラス越しにのぞくと、沢山の石造文化財が並べられている。想像するに、心ない人間が持ち去る事を懸念してお堂に中に入れて鍵をかけたのだろう。本来祀った所にあるべきだが、仕方ない時代になった。

堂内には、庚申塔、観音像、大師座像、牛に跨った大威徳明王像ほか数十点の石造が安置されているのが見えた。

右の画像は、ガラス越しに撮影したものである。

岩谷堂板碑

説明書きによれば、
・町指定文化財(昭和59年3月27日指定)
・所有者または管理者 筧下組
キリークとは、千手観世音菩薩(せんじゅかんぜぼさつ) 子(ねずみ)年生まれ 千の慈眼と慈手で一切のの悩みを救い、願い事をすべて叶えるとされる。


弘法大師立像が岩屋右手の小高い場所に建っている。この前辺りに立派な石造宝篋印塔があったそうだが、明治時代の中頃に、管理していた集落のお年寄り達が酒代にしてしまったそうである。なんでも、今日との有名なホテルの庭にあるとか。

今思えばとんでも無い事だが、当時は結構これに似た事が行われたようである。

画像手前にも石塔が見えるが、苔生して刻まれている文字は読めない。また、よく見れば、あちらこちらに、ひっそりと自然にとけ込んで、その存在を木々が隠している仏さんの姿を見つける事が出来る。さて、誰にでも見えるのか?心ない人間には見えて欲しくないと願う。


観音像


供養塔

下の道に下る途中にある壁のくぼみ。小さな仏様が祀られていた窪みだろう。
心ない人間が持ち去る為に、仕方なくお堂の中に安置したそうである。